刑事役が良く似合う、「トップ・オブ・ダンディ」と言えば真っ先に名前があがる「舘ひろし」さん。
舘ひろしさんと言えば、今でこそ「お茶目」なお父さん役など、さまざまな役柄をこなします。
しかし、若い頃は刑事役が多い印象ですよね!
今回は、舘ひろしさんの俳優業の歴史をご紹介します。
ぜひ最後までお付き合い下さい!
舘ひろしの若い頃から現在まで
舘ひろしさんと言えば長年に渡り、さまざまな役柄をこなしている事で見る世代によっては印象が違うなんて事もあるかも知れません。
『西部警察』
『あぶない刑事』
『終わった人』
今では役柄を限定せず役にハマる事ができる魅力あふれる俳優の舘ひろしさんですが、若い頃からそうだったのでしょうか。
少し、若い頃の舘ひろしさんを振り返りながら、その魅力に迫って行きましょう!
舘ひろし PROFILE
【名前】 舘ひろし(たちひろし)
【生年月日】 1950年3月31日(73歳) ※2023年4月時点
【身長/体重】180cm / 68kg
【兄弟】2男1女の長男
【出身地】 愛知県名古屋市中区老松町
【若い頃のエピソード】・実家は開業医
・医者になると言われていたが建築をまなぼうと思っていたが、バイクと遊びに夢中になってしまった。
・2021年3月に千葉工業大学を卒業。当時、8年間の休学の末に中退
していた。
舘ひろしさんは祖父の影響で英国好きなようです。
その影響で、乗馬に一人でいくときは「モーガン」、自分で運転しない仕事の時は「ジャガー」だったそうですが、現在は「メルセデス」のようです。
そんな舘ひろしさん、愛知県立千種高校時代はラグビー部の主将を務めていました。
実家は開業医なので将来は自然と医者になるつもりだったらしいですが、医大の試験に落ちてしまいます。
次になろうと思ったのは建築家。
絵画が好きだったからとの事で、千葉工業大学へ入学するも寮が厳しく、夜逃げしたらしいです。
その後、遊びに夢中になって大型バイクに乗り、東京・原宿で「COOLS(クールス)」の結成と続きます。
『クールス結成/1975年』-(24歳頃)
舘ひろしさんは在学中に、アメリカのバイカー映画に憧れて『遊び』に夢中になったみようです。
飲食店で食事をしていた 『岩城滉一』さんに「あのバイク、君の?」と、話しかけたのがキッカケで意気投合しました。
この頃の舘ひろしさんは、バイクの免許を持っていなかったらしく、岩城滉一さんと2人乗りして教習所へ通っていたそうですね!
バイク免許を取得した後は、いよいよ「COOLS(クールス)」の結成です。
1974年12月13日金曜日の縁起の悪い日を選び、舘ひろしさんをチームのリーダー、「ボス」として21人が集まりました。
「チームは、リーダーの独裁により運営される」とした血判状を作成して、リーゼント・革ジャン・黒か青のジーンズに黒のバイクにこだわったチーム。
原宿・表参道に「クールス」の黒いチームは目立ち、素人なのにファッション誌のモデルやファンがいたそうです。
また矢沢永吉のバンド「キャロル」の解散コンサートで親衛隊をつけたいと、矢沢永吉さんから舘ひろしさんに持ち掛けたそうですね!
映画「暴力教室」にはクールスのメンバーで出演しますが、1977年に舘さんが「クールス」を脱退して石原プロモーションへ入社します。
映画やマスコミに出たい舘さんと、音楽をやりたく、舘さんの映画に出ても脇役のメンバーとの間に方向性の違いも生じたとの話もあります。
その後メンバー編成を行い、「クールス」は現在も活動を続けています。
『暴力教室/1976年』-(25歳頃)
当時の東映の社長に誘われて、俳優のキャリアをスタートさせたのはこの頃です。
映画へはクールスのメンバーと共に出演しています。
先生役で主演の松田優作さんと殴り合うシーンは、時代を感じさせるものもありますが、新鮮です!
ナイフを黒板に投げつけたりと、現在ではありえない鮮烈な印象を受ける事間違いないでしょう!
『西部警察/1979年』-(29歳頃)
西部警察の出演で、若い頃の舘ひろしさんが「お館」と呼び敬愛してきた「渡哲也」さんと出会います。
舘ひろしさんはアメリカ製のハーレーに乗る刑事役を演じますが、半年間の契約の為に西部署での初めての殉職者として一旦降板します。
この頃の舘ひろしさんは、まだどことなく「ヤンチャ」な印象が抜けていない、破天荒で若手の刑事役という感じがしますよね!
爆弾での殉職シーンが印象的でした…。
ちなみに西部警察では第1話目から、戦車のような装甲車が現れて、国会議事堂前や銀座を暴走するシーンから始まりました。
当時、テレビをみていた人はスケールの違いにビックリされた事と思います。
ちなみに、装甲車「レディバード」はこの2話分の撮影の為に、改造をほどこして「数千万円」かけたそうです。
撮影終了後、テーマパークで展示されて、その後に個人が所有した後、解体されたそうです。
『石原プロ入社/1983年』-(33歳頃)
石原プロモーションへ入社したキッカケは社長の石原裕次郎さんでなく「お館」と呼ぶ渡哲也さんに憧れていたからです。
地方ロケ先では、明け方まで渡哲也さんと飲み明かした経験があるそうです。
西部警察PARTⅢの最終回まで出演して、大型バイクを乗っていました。
初期では殉職した巽刑事(タツ)役を演じて、ハーレーダビッドソンにパトランプを載せて走っていましたが、109話「西部最前線の攻防」以降、新たに登場した鳩村刑事(ハト)役を演じました。
お館である、渡哲也さん扮する大門刑事が、真面目な顔で『ポッポ!』と呼ぶのには少し面白さも感じます!
きっと『ハトポッポ』の『ポッポなんだろうな~』と思った人も多かったのではないでしょうか。
ドラマでは、殉職した刑事(タツ)と同じ顔の刑事(ハト)が、新人で入ってくるのが何とも言えない違和感を感じる場面ですが、そこはご愛嬌です。
西部警察での舘さんの乗り物はバイク。
「ハーレーダビッドソン」と「スズキ・KATANA」、ドラマ後半では「スズキ・KATANA」をカスタムした「スズキ・カタナR」を乗る事となります。
「スーパーZ」を運転する渡哲也さんを舘さんがバイクで先導する事が多かったですね。
まるでガードしているかの様に走行しているのでは? と、思わせるシーンなどは、普段から敬愛している印象を受けました。
最終回、大門団長が敵の銃弾に撃ち抜かれ殉職する場面では感情が入っていて、迫真のシーン!
舘さん、本当に悲しそうでした…。
西部警察で主演の渡哲也さんとの出会いが、舘ひろしさんにとって俳優人生のターニングポイントとなったのかも知れません。
ちなみに西部警察に出演する前に舘ひろしさんは、渡哲也さんに『2人で会いたい』と喫茶店で待ち合わせをしたそうです。
待ち合わせの喫茶店に行ったら、渡さんはすでに来ていて、僕を見つけたらパッと立ってね。『舘くんですね。渡です』と言って握手してくれたんです。そんな俳優今まで一人もいませんでした。それだけに凄く衝撃があって嬉しかった。
西部警察をやっていると、渡さんだけが『ひろし、お前には華があるな』と言ってくれたんですね。その言葉だけを頼りに今もやっている感じです。そんなことを言ってくれる俳優、いませんでしたから。
【NEWポストセブンより】
始めて会った時に、大スターが目線を合わせて、対等に向き合ってくれるなんて感激しますよね。
実はこれ、若い頃に渡哲也さんも石原裕次郎さんに同じように対応してもらったそうなんです。
大スターになっても、相手を思いやる気持ちが自然と継承している事が、素晴らしいエピソードですよね!
きっと舘さんにも同じ気持ちが継承されている事でしょう。
『あぶない刑事/1986年』-(36歳頃)
実際に子供の頃にみた「あぶない刑事」で舘ひろしさんを知った世代も多いと思います。
あぶない刑事も舘ひろしさんの知名度をアップさせたドラマの代表と言っても良いでしょう。
2024年には『帰ってきたあぶない刑事』が上映されて話題となりました。
あぶない刑事は当初、半年で終了の予定だったそうですが、人気だった為に延長されて1年間放送されました。
今ではそんなドラマないですよね。
あぶない刑事がスタートした初回は、舘ひろしさん(タカ)と、柴田恭兵さん(ユージ)の掛け合いは、どことなく “ぎこちなさ” が残っているような気がします。
慎重に捜査を進めるタカの一方で、一気に捜査を進めるユージの事を『育ちが悪い』と軽くディスったり(もちろん役の中で)、2人がキャラクターを模索しているように見えるんです。
しかし、回を重ねるごとに不思議と息が合ってくるようになります。
柴田恭兵さん(ユージ)は「アドリブ」で次から次へと言葉が出て来り、おちゃらけたりする印象に対して、舘ひろしさん(タカ)は『ダンディでクール』
若い頃の舘さんは、そんな柴田さんの事を『変わった演技をする人』と印象を持っていたそうです。
恐らく、柴田さんを今までの舘さんの中には「ないキャラクター」だったのかも知れません。
しかし、そんな相対する2人のキャラクターと、80年代のオシャレな音楽にスーツ。
登場する車もカッコ良く目立っていました。
柴田さんと舘さんの脇を固める豪華なキャラクター陣が時代にピタリと合っていたのかも知れません。
映画「さらばあぶない刑事」のクライマックスシーンで2人が敵に追いつ詰められるシーン。
タカがユージに『お前と出会えて良かった』のセリフには、『いよいよ最後か!』と、往年のファンをグッと熱くさせる役柄を超えてまで、『舘さんの想い』が溢れていたのでしょう。
ちなみに舘さんは銃の構え方にもこだわりを持っています。
ドラマで使用する銃はモデルガン。
実際の銃のように重く見せる為に、グリップを少し浅く持ち、銃身(弾が出る口)を少し下げて見えるようにすると、重くみえてリアリティがあると言います。
実際に、「西部警察」の頃と「あぶない刑事」の頃を見比べると、「あぶない刑事」の舘さんの銃の持ち方の方が、リアルさを感じるように見えるんです。
銃は片手でもつ事が多く、左手は左胸に添えるようにもってくる。
そうする事を舘さんが「スッ」とやると、不思議とカッコ良く見えるんです!
『刑事貴族/1990年』-(40歳頃)
刑事貴族はシリーズ3まで存在し、舘ひろしさんが主演を務めるのは「刑事貴族」のシリーズ1の16話まで。
今考えると、舘さんが途中で降板したのが不思議な流れだったのが刑事貴族でした。
舘ひろしさんは別ドラマ「代表取締役刑事」出演の為に契約上、途中降板となったのが理由です。
刑事貴族は視聴率が良かったため、2クールで終了する予定が、延長が決定して舘ひろしさんの後任を「郷ひろみ」さんが引き継ぐと言う、異例の形になりました。
その後、「刑事貴族2」「刑事貴族3」の主演は「水谷豊」さんに変わる事になります。
今となってはドラマ「相棒」が長く続いていますが、水谷豊さんと言えば、「刑事貴族」と言う人もいるのではないでしょうか。
ちなみに「あぶない刑事」では舘ひろしさんは車を一切運転する事がありませんでした。
刑事貴族ではクルマを運転する舘ひろしさんが見れるので、運転しないイメージがある人にとっては、良い意味で新鮮だったかも知れませんね。
刑事貴族ではボコボコのアメ車「マスタング」を覆面パトカーとして運転する舘ひろしさんが、ヤバい程カッコイイんです!
『免許がない/1994年』-(44歳頃)
映画のストーリーでは、スターである舘ひろしさんが、実は運転免許を取得しておらず、合宿で運転免許を取得する道のりを描いたコメディ作品です。
映画の中では免許がない役柄なので、舘さんは私生活でも車の運転が下手になったと言います。
ちなみに映画会社の社長で、あぶない刑事でも上司と部下の関係であった、「中条静夫」さん。
いつもダンディで、カッコいい舘ひろしさん。
ギャップが大きいからでしょうか。
コメディで、真面目に運転ができない役を演じる姿が何とも言えず、可愛らしくも見えてくるのが不思議です。
普段からカッコ良くて完璧な人が『間の抜けた瞬間』をみると、ギャップによってファンになってしまいますよね!
『あぶない刑事TVスペシャル98/1998年』-(48歳頃)
2人が30代の頃にスタートしたドラマ「あぶない刑事」から「もっともあぶない刑事」が一旦の区切りをして以降、再び映画とテレビの2本立てとなった「TVスペシャル」と「フォーエバー」
初期の「あぶない刑事」から若干、年齢を重ねて渋みが増した舘さん、柴田さんが見れる作品です。
しかし年齢を重ねても2人のアクションは変わらない。
往年のファンは、まだまだ「あぶない刑事」が見れると思うと嬉しい気持ちになったのではないでしょうか。
『西部警察スペシャル/2004年』-(54歳頃)
この映画では撮影中に見物客に車で突っ込んでしまい、男女5人を負傷させてしまいました。
事故後、1年経ってから負傷者の承諾を得て、制作済みだった「西部警察スペシャル」の放送に至りました。
この事故でテレビドラマ版は事実上、凍結状態となったのが仕方ない所ではあるのでしょうが、残念ですよね。
放送されたスペシャル版では、かつて大門団長のポジションは舘ひろしさん扮する(鳩村団長)になっています。
内容はかつての西部警察を思わせる内容で、迫力あるアクションシーンが多い作品となっていますが、舘さんは50歳を超えても、まだまだ元気でした。
『パパとムスメの7日間/2007年』-(57歳頃)
舘ひろしさん扮する(パパ)と新垣結衣さん扮する(ムスメの小梅)が入れ替わってしまう、コメディドラマです。
舘ひろしさん、新垣結衣さんの2人にとっても新たな役柄となったのではないでしょうか。
あの作品のおかげで今の僕がある!
やはり、普段はダンディでカッコいい人がお茶目な一面が見えると、ギャップにやられてしまいます!
この作品で舘さんのファンも更に増えたのではないでしょうか。
舘さんのダンディでカッコいい外見のまま、中身がムスメな訳ですから当然、話し方はムスメなのです。
今まで、舘さんの役柄でこのような役を見た事がありません。
役者という仕事には定年退職がなく、いつかは自分でゴールや、引退時期を決める必要があるのかと考える事もある。 普段は男らしい役が多かったが反面、コミカルな芝居に憧れを持っていて、年を重ねるごとにコミカル芝居ができるようになったと自負している。
【引用:ニッポン放送 あさナビより】
ムスメ役を演じて以降、視聴者側として見ると舘ひろしさんは更に、深みが増したように見えます。
一つのセリフからも、その言葉の重みを感じるような気がしますね!
舘ひろしの俳優業に華を添えたのは誰?
結論から言うと、舘ひろしさんの俳優業(人生)に華を添えたのは何と言っても「渡哲也」さんです。
舘ひろしさんは若い頃、『渡哲也さんに言われた言葉だけを頼りに俳優をやって来た』
と言っています。
ひろし、お前には『華』がある!
舘ひろしさんにとって、渡哲也さんは憧れの人。
渡哲也さんから見ると、舘さんが渡さんにないものを持っていて、純粋に『華がある』と言ったのかも知れません。
しかし舘さんは『西部警察』で憧れである渡さんをみて、俳優をやっているのが楽しいから『華があった』とも考えられないでしょうか。
と、すると、舘さんに『華を添えた』のはもしかして渡哲也さんだったのかも知れません!
もちろん、ご本人に直接聞いた訳ではありませんので真相は不明ですが、何とも良いエピソードではないでしょうか。
『西部警察』での渡哲也さんの演技、とても演技とは思えない所があります。
舘ひろしさんでなくても、団長(渡哲也さん)には憧れてしまうくらい、『男気』あふれる姿に、見ている方は感動してしまうのです。
若い頃、『西部警察PARTⅠ』で共演した「刈谷俊介」さん。
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こういう事をアドリブでやってしまう渡哲也さんに対して、刈谷さんは言います。
渡さんは、人の心をつかむ。人の心が分かる。それは芝居の心じゃなくて、全ての日常生活もすごい。人を凄い読んでる。
お金を渡して去っていく渡哲也さんの後ろ姿を、『涙でまともに見れなかった』と刈谷さんが言っていた事があります。
こんな渡哲也さんを近くで見ていたからこそ、憧れも一層強くなり、『華』がある舘ひろしさんになったのかも知れないと考える事も出来るのではないでしょうか。
まとめ
今回は舘ひろしさんの若い頃からをまとめてみました。
若い頃にバイクチーム『クールス』を結成した後、俳優業に転じた。
石原軍団に入り、渡哲也さんとの出会いが運命と呼べるほどとなった。
渡哲哲也さんは舘ひろしさんに対して『華がある』と言った俳優は後にも先にも渡哲也さんしかいない。
以上の事が分かりました。
今後も元気で頑張って下さい!
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