大学の講師を務めながら、身体技法や姿勢についての著書を多数手がけられている、日本身体文化研究所主宰の矢田部英正さん。正しい姿勢を身につけることによって、現代の女性たちには、どのような変化がもたらされるのでしょうか。
今を生きる私たちの盲点である東洋文化の基礎と、たたずまいの美しさについて、詳しくお話を伺っていきました。
自然にからだの内面に目を向けてきた、日本の暮らし
—— ファッションやダイエット、美容には高い関心を持つ女性たちですが、自分の姿勢を省みる意識は希薄なように思います。
矢田部英正(以下、矢田部) 自分にとって、自分のからだというのは距離が近すぎて、学問的にもあまり研究が進んできませんでした。「灯台下暗し」という言葉もありますが、”からだはここにある”ことが当たり前ですから、大事なものと思われないことが多いのではないでしょうか。
ただそれは、近代以降に広がった西洋文化の特徴かもしれませんね。
── 近代以前は、もうすこしからだに対する意識が高かったということでしょうか。
矢田部 東洋人は本来、内面を見つめることが暮らしの基本でした。ただ座るという動作も、食事をすることも、自分自身のからだを見つめる瞑想修行の作法から発展しています。現代人にとっては盲点かもしれませんが、歴史を振り返ると、からだに対して内へ内へと視点が向かう精神性が、東洋文化の基盤にあります。
── そういった文化は、生活の中で自然と受け継がれたものなのでしょうか?
矢田部 一般人のレベルでは、姿勢の指導法が書物などで伝承されてきたということは、なかったと思います。ところが近代以前までは生活文化全体が、からだを整えるような様式をもっていたことがわかります。


矢田部 どういうことかというと、着物を日常的に着こなす上での振る舞いであったり、お茶席での作法、習字の筆づかいやお箸とお茶碗を正しく使ったり……そういった暮らしの中の所作を身につけたときに、おのずと物事の道理が身につくように道具がデザインされていました。
着物は立居振舞いが正しくないと着崩れてしまいますし、武士の髷(まげ)も頭の位置をまっすぐに保たなければズレてしまいます。髷がずれたら格好悪いですからね(笑)。
自分の立ち振る舞いを知ることが「変形された美」から抜け出す第一歩
—— 和服から洋服へ変わったことで、姿勢のとりかた、からだの使い方も大きく変化しているのでしょうか?
矢田部 物質文化は西洋化していきましたが、では一体ハイヒールはどうやって履きこなせばいいのか、スーツやドレスはどのような姿勢であれば着こなせるのかということに、問題意識が向かないまま現代まできてしまったように感じます。ですから、どういう風にからだを扱えばいいのかわからなくなってしまったし、自分のからだと物質文化とのズレが日々積み重なって、健康状態をゆるやかに蝕んでいるということも考えられるのです。
先日、ある大学で女子大生の足の健康状態の調査をしたのですが、97%が足に異常がある(主に外反母趾)という結果が出ました。健康的な足の生徒はわずか3%しかいなかったんですね。
—— それは……衝撃の結果ですね。
矢田部 異常があると言っても、ほとんどが先天的なものではないと思います。おそらくは細身の靴やファッションの流行を受けて、自分に合わない靴を履いたり無理をしたりすることで、足に歪みが生じます。
そうすると地に足がつかないようになり、外反母趾や巻きづめになってしまい、姿勢が上手く取れなくて猫背になったり、疲れやすくなったりして、結果ストレスが溜まってしまう。
からだだけではなく、心にも負の連鎖が及んでしまいます。流行のファッションを追いかけたり、憧れの人を真似したからといって、美しくなるかどうかは別問題のように思いますね。
── たしかに身の丈にあわない服を買ったり、無理なダイエットをしてしまう女性は少なくないと思いますが、それが結果としてストレスになったら、美しくなりたい、綺麗になりたいと思っているのに本末転倒ですね。
矢田部 流行がつくり出した価値とは別の文脈で、自分にあったもの、ストレスがかからない、なおかつエレガントに見えるものを見つけるためには、まず自然に適った立居振舞いを身につけることが指針になると思います。
健康的にも美的にも、本来女性が持っている自然を歪めない、心にもからだにも負担がかからない、そうした美のあり方が存在するということも知っていただきたいと思います。
── 現代の美の基準は、やはり西洋化してしまったのでしょうか。
矢田部 強く影響されていますよね。西洋化が悪い、というわけではないと思いますが、私たちのからだに合うかどうかを適切に判断することは重要だと思います。
ほかの国の服飾文化と比較したときに、とくに日本の着物や服飾の優れた点に気づかされることがあるのですが、それは、女性の母体の機能を損ねる様式が、歴史上のどの時点にも存在しないという点なのです。


── と言いますと?
矢田部 例えば西洋服飾の世界では、バストとヒップの形を強調するために、コルセットで健康を害するほど、きつくウエストを締め上げる方法が、300年以上に渡って続いてきました。一方、日本の伝統服は、「ゆとり量」が多く、肉体の形を完全に隠してしまうので、正しく着付けた場合には、母胎を圧迫させるようなストレスが、まったく無かったのです。
中国と盛んに交易していた時も、女性の足を歪める「纏足」だけは、決して取り入れることがありませんでした。
矢田部 そうです。日本の伝統服は、非常に高度な格式を持ちながらも、それが「からだの自然」を歪めない形で発展してきていて、いわば布と自然の理想的な調和の関係が示された、お手本のように思います。
最近、和服の人口が、にわかに増えつつありますが、また同時に、西洋化した現代の暮らしのなかで、からだと自然とが調和した、物(物質文化)のあり方を考えることも、非常に重要です。
懐古趣味的に時代を逆行させるだけでなく、伝統の優れた思想に学びながら、私たちの新しい時代を創造できれば素敵ですね。そんな夢を、想い描いています。
(後編は7月6日公開予定です)
お話をうかがったひと
矢田部 英正(やたべ ひでまさ)
1967年東京生まれ。武蔵野身体研究所主宰。筑波大学大学院修了 体育学修士。 学生時代は体操競技を専門とし、全日本選手権等に出場。選手時代の姿勢訓練が嵩じて日本の伝統的な身体技法を研究する。国際日本文化研究センター研究員を経て、文化女子大学大学院にて和装と身体のかかわりを研究し、博士号取得(被服環境学)。姿勢研究の一環として1999年より椅子の開発に着手。デザインレーベル「コルプス」を発足する。身体を軸とした「物づくり研究」は、椅子、服飾、建築と広い守備範囲をもつ。武蔵野美術大学, 武蔵大学 非常勤講師。
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中條美咲
昭和64年1月3日 長野県生まれ。 2014年 暮らしの中で出会ったものや人、そこから感じたことを文章で伝えていきたいと思い 「紡ぎ、継ぐ」というブログを始める。” 見えないものをみつめてみよう。” ということをテーマに、書くことを通じて多くの出会いに触れながら、感じる力を育てていきたい。 現在は「灯台もと暮らし」と「PARISmag」にてライターとして活動中。
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