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【連載】心とからだを自然のリズムとチューニングする|すこやかに生きるということ⑫
2016.08. 1
すこやかに生きるということ, 不食, 旬, 食
テレビやSNS、雑誌などに触れていると「健康や美容のためには、これを食べるべき」、「あれは食べるべきではない」など、食べ物を全体として見ずに栄養素だけに着目してしまいがちです。
偏った視点を後押しするように、スーパーやコンビニには常に話題の食材が並べられ、水や空気といった日本で当たり前に摂取できるものでさえ、なんらかの付加価値をつけられて売られているという現状に、大きな違和感を覚えます。
東京に住んでいた頃は、こうした違和感に対して、ある程度は目をつむれていました。今思うと、どこか仕方がないことだとあきらめていたのかもしれません。というのも、近くに豊かな水源があり、沢で汲んだ水や水道から出てくる水が当たり前に美味しく飲める、空気の澄んだ安曇野で暮らしていると、これらの違和感を無視することができなくなっているな、とつくづく思うからです。
知識を学ぶだけではなく、まずは自分のからだを知ること

安曇野は、ありのままのものが姿かたちを変えずに、自然にただ在るという環境です。そうした場所に身を置き、“自然本来の姿”に意識を向けるだけで、私もその一部なのだということを思い出します。すると、不自然なものをからだに入れる機会が、とても減りました。
不自然なもの……、例えば脂たっぷりのラーメンや、衣が厚い揚げ物、某コーヒー店の甘すぎるドリンクや、乳脂肪分が高いデザート、脂質や砂糖が過剰で食品添加物が多く含まれるものなど、現在の私の日常食から離れたこれらを摂ると、頭痛や吐き気、下痢というように、すぐさま体外に排出しようとからだが反応します。
自分のチューニングが自然の循環と同期してきた今は、以前よりからだの反応が鋭敏になったようで、頭で「食べたい」と思っても、からだの声を聴いて「食べない」という選択をすることが増えました。
今までにいろんな食事法や食にまつわることを試しましたが、そのたびに多くの気づきと学びがありました。けれど、いつもどこか足元がおぼつかなくて、不安で、新しいことを求めてしまっていたのは、自分のチューニングが自然から離れていたからなのだと思います。
狂ったチューニングのまま“食べる”ことを頭で判断しすぎて、からだの声がわからなくなってしまっていたのでしょう。
からだの声に耳を傾け「食べたいときに食べる」

今の私は、以前のようにストイックに何か特別な食事法を取り入れているわけではありません。けれど、“食べる”ことについて、独自のルールがあります。そのうちのひとつが、「食べたいときに、食べたいものを食べる」ということ。
私は基本的にいつも朝食を食べません。最近はだいたい朝6:00前後に起床し、7:40から仕事が始まりますが、お昼の11:30~12:00頃まで何も食べず、昼食と18:00過ぎに食べる夕食の、1日2食が基本です。
その間は、おやつも含めてあまり食べないけれど、徹底しているわけではなく、その時お腹が空いていて、食べたいと思えるのであれば、何かを食べることもあります。けれど、その食欲が本当に空腹だからなのか、それとも頭が疲れていて食べることでリラックスするための空腹なのかは、注意が必要です。
「食べたいものを食べる」ということも大切にしています。食べ物の好き嫌いのことではなく(そもそも私が苦手な食べ物は動物性のものが多く、養生園ではあまり出ないのです)、自分に必要な食事を頭で判断せずに、からだの声に耳を傾け、一番欲しているものを食べるということです。

ムシムシと暑い今の季節であれば、ナスやトマト、キュウリといった夏野菜がからだの熱を冷ましてくれる上に最高に美味しいので、からだが欲します。その反面、からだを冷やしすぎないように、ショウガやネギといった熱を生むものも自然と一緒に食べたくなります。自分のからだの欲求と旬の食べ物が大きく外れなければ、だいたいすこやかでいられるので、以前のように食べ物の性質や栄養素、食べ合わせなどを頭で考えることはほとんどやめてしまいました。
“食べる”ことにまつわるルールは人それぞれ
また、「怒っているときや悲しいときには食べない」というルールもあります。そもそもこういう時は食欲が湧かないけれど、自分が乱れている状態で食事をすると、食べたいものや量に必ず狂いが生じます。食べ物への感謝も忘れがちになるし、なにより美味しくない。そういう食事は、食べ物のエネルギーも、その後の消化のための自分のエネルギーも同時に無駄にしてしまう気がするのです。
他にもいくつか自分なりのルールがあるけれど、知識や思考を挟まず、からだの感覚を頼りに食べることが、いかに自然なことなのかに気づき、実践できるようになったのはつい最近のことです。ふわふわと“食べること”の宇宙を漂わずとも、しっかりと自分が心地よくいられる食べ方がわかってきました。

もう少し“食べること”についての実践とルールのアップデートをしたいので、まだ先の話になるけれど、いずれは“食べても食べなくても平気”というところへ行きたいなと思っています。
実際に最近は、水も含めて一切食べずに元気でいる“不食”の人たちの話もよく耳にするようになりました。私は食べることも、食事をする空間も好きなので、不食を目指しているわけではないのですが、私の体質と経験上、口内炎ができたり風邪をひいたり、体調不良の時に食事を控えると、治りが早いのです。“食べないこと”の効用も、もう少し知りたい。“食”にまつわる探究は、まだまだ続きそうです。
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工藤知子
1988年、北海道函館市出身。2008年、上京。大学で心理学、農業、フェアトレードなどを学ぶうちに、心と身体がすこやかであれば幸せに生きることができると思い至る。卒業後、有限会社あきゅらいず美養品へ入社。商品管理・広報などの業務の中、中医学・食養生などを学び、肌は心と身体の鏡であることを実感。2014年、退職を機に東北を中心に旅をした後、帰郷。4月より穂高養生園のスタッフとして長野県安曇野市で暮らし始める。現在は、心と身体がすこやかであるための探究をライフワークに、知恵と実践を求めて修行中。
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