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【連載】自然の中で暮らすことで気づいた旅の意味|すこやかに生きるということ③
2015.11. 6
都会で働いていた頃は、自然が豊かな場所で暮らすことが憧れでした。
街のショーウィンドウやメディアから流れてくる情報ではなく、空の高さや風の匂い、木々の色合いから季節の移ろいを感じたい。夜のスーパーで、なんとなく疲れて見える野菜を選ぶのではなくて、まだ土がついている新鮮な野菜をまるごと食べたい。
そうした些細な想いが日々蓄積していって、どうにも我慢ができなくなると、私はよく深夜か早朝の東京駅に向かい、自然に触れる旅に出ました。

私にとっての旅とは、基本的に無計画であることが前提です。その時の気分で海でも山でも、とにかく自然の中に身を置ける行き先を選んだら、最小限の荷物を持って、あとは成り行き任せ。なるべく自分の直感に従って、たくさん歩いて過ごす一日は、からだはへとへとでも、いつも心は晴れやかでした。
何度かそうした旅に出るうちに、中でも特にもう一度訪れたいと強く惹かれる場所と出会いました。そのひとつが、いま暮らしている長野県の北西部に位置する安曇野(あずみの)という土地です。
安曇野を訪れたのは、今から2年ほど前の初冬。出会った人たちのあたたかさと凛とした寒さの中で、北アルプスがどっしりと佇む姿をよく覚えています。
東京を出るときに凝り固まっていた心とからだが、すーっとほぐれて、視界がクリアになっていく感覚と、ただ立っているだけでも気持ちが良い、肌に合う空気、自分をジャッジせずに、ただそこにいることが許されるような不思議な土地の力を強く感じました。
当時は、まさか自分が安曇野で暮らすことになるとは思ってもみなかったけれど、また必ず訪れたいと思っていたからこそ、穂高養生園とご縁がつながったのかもしれません。住み慣れた東京でもなく、懐かしさと安心感に溢れる地元でもなく、この安曇野という土地で暮らすことに何の不安もなかったのは、こうした旅の記憶があったからでしょう。

そして今、憧れていた自然豊かな場所で暮らすことで、過去の自分のことをより理解できるようになりました。当時は、ほとんど衝動的に旅に出ていたけれど、実は意図せずとも私の中に眠っていた本能的な欲求を満たしていたのではないか、それが結果的に近い将来の私をかたちづくっていたのだと思うのです。
自然の中で暮らすということは時に厳しく、なかなか自分の思い通りにいかないこともあって、ただその事実を受け入れて、その時にできることをする必要があります。都会のような便利さはないので、自分のからだを使うことも多くなります。
自然とともに暮らすということは、頭だけでなく、手足、五感、直感、精神……からだまるごとバランス良く使うということ、そしてそれが体現できると、とてもすこやかな心持ちでいられるということを実感しています。
私にとって、都会での暮らしはどうしても頭を使うことが多くなっていて、時には自分を守るために感覚を閉じることもありました。自然を求めて無計画に旅に出ていたのは、私なりにすこやかさを求めてバランスをとろうとしていたのだと、今ならわかるのです。
私の今の仕事は、パソコンが相棒の事務作業も多く、目と頭をよく使います。仕事が終わった後もこうして夜な夜なパソコンで原稿を書いているし、そういう意味では都会で働いていた頃と、あまり変わらないかもしれません。だけど一歩外に出れば、遠くの山々を眺めて目を休ませたり、川でクールダウンしたり、ハーブガーデンで思い切り香りを吸い込んで深呼吸をすることができます。
手を伸ばせばすぐに、力強い自然に触れることができること、そうした環境を自分で選んでいることがとても嬉しくてありがたいと思うのです。
手を伸ばせばすぐに、力強い自然に触れることができること、そうした環境を自分で選んでいることがとても嬉しくてありがたいと思うのです。
自然の中で、からだと直感をフルに使うために旅に出ていた、かつての私。
最近ふとした瞬間に考えるのは、今の私は、次は何を求めて旅に出るのだろう、ということです。
きっと年を重ねるたびに、少しずつ旅の持つ意味が変わってきて、しだいにすこやかに、自由になっていける気がしています。
★★★
★すこやかなすはだは、すこやかな暮らしから
★都会を離れて田舎で暮らすってどんなかんじ?
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工藤知子
1988年、北海道函館市出身。2008年、上京。大学で心理学、農業、フェアトレードなどを学ぶうちに、心と身体がすこやかであれば幸せに生きることができると思い至る。卒業後、有限会社あきゅらいず美養品へ入社。商品管理・広報などの業務の中、中医学・食養生などを学び、肌は心と身体の鏡であることを実感。2014年、退職を機に東北を中心に旅をした後、帰郷。4月より穂高養生園のスタッフとして長野県安曇野市で暮らし始める。現在は、心と身体がすこやかであるための探究をライフワークに、知恵と実践を求めて修行中。
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