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【連載】相手の話を聴くときの距離感は、先導ではなく並走|すこやかに生きるということ⑥
2016.01.22
2016年のはじまりは、生まれ育った町、函館で迎えました。社会人になって以来、こんなにのんびりと過ごすお正月は初めてのことで、心身ともにゆるめることができる貴重な時間と久しぶりの街での暮らしを満喫しています。

昨年11月末に穂高養生園が冬季休園に入り、安曇野を出発したのが12月はじめのこと。しばらくは瞑想を学ぶための合宿に入り、その後は大阪、奈良、京都、東京と、偶然にも日本の都の変遷をたどる旅をして、海を越え函館に帰ってきたのがクリスマスの頃。ちょうどそのあたりから本格的に雪が降りだしたので、家で静かに過ごしたり、雪化粧した街を散歩したりしながら2015年を振り返る機会がありました。
今回はそんな時間で気づいたことを、昨年のまとめと今年の抱負として言葉にしてみようと思います。
理論武装を解除し自分の心地よい部分を探した2015年
昨年最大のテーマは「自分の本音と向き合う」こと。
新しい土地や仕事、あらゆる出会いの連続によってこれまでの理論武装を解除するかわりに、自然と感覚を開くスイッチを押していました。頭であれこれ考えるよりも、まずはやりたいことをやってみる。そして、生まれてきた欲求や感じたことを尊重する。簡単そうに思えるけれど、私にとっては毎回大きな試練でした。
「自分の本音と向き合う」ということは、容赦なく襲ってくる自分のドロドロした部分を誤魔化さず、否定もせずにただ認めて許すこと。そうすることで少しずつ生まれてくる心のゆとりと柔軟さ。気がつけば「自分の内側に目を向け、耳を澄ますことで、自分が心地良いと感じることをできるだけ丁寧にすくいとって行動する」(前回のコラムより)という状態が、今は自然になってきています。

旅に出ていた12月、嬉しい再会や新たな出会いに恵まれて多くの方とお話しする中で、ふとした瞬間、よくわからない違和感に襲われることがありました。
函館で淡々と日々を過ごすうちに、謎の違和感の正体は「純粋に相手の話を聴けていない自分」、もっと言うと「アドバイスをしたがっている自分」だということに気づいたのです。
先走らず相手の話を聴くということ
私は基本的に人の話を聴くとき、養生園で学んだ、アティテューディナル・ヒーリング(AH)の姿勢を参考にしています。AHとは、「心の平和を唯一の目的とし、自分の責任で心の姿勢(アティテュード)を選び取っていくというプロセス」(AH Japan HPより抜粋)のことで、中でも「話の聴き方」を大切に扱っています。
ポイントは大きく2つ。
- 現在にとどまること
- 問題として聴かないということ
私も含めておそらく多くの人は、相手の話を聴くと同時に、自分の声も聴いています。話の最中、相手の話から引き出された自分の過去や未来に思考が飛び、相手にかける言葉を探したり、解決策をアドバイスしようと必死に頭をフル回転させて、勝手にプレッシャーを感じることもあるでしょう。
本当の意味で相手の話を聴くためには、なんとかして現在に意識をとどめ、たとえ相手が深刻に悩んでいる様子でも、それはその人にとっての解決すべき「問題」ではなく、必要な「プロセス」として見守る姿勢が必要です。

AHでは、心の姿勢を「怖れ(不安や恐怖など)」と「あたたかい心(愛)」のどちらかだと考えています。また、普段は「怖れ」に気をとられることが多くて曇ってしまいがちですが、人の本質は「あたたかい心(愛)」なのだと信じる姿勢を大切にしています。
相手の話を「怖れ」の姿勢、つまり問題として聴いた場合、どうにかして解決してあげたいという想いから、ついアドバイスをしたくなりますが、そこには自分の心の葛藤や相手の現状の否定が含まれることも多く、さらなる「怖れ」を生んでしまう可能性があります。
しかし、「あたたかい心(愛)」の姿勢、つまりプロセスとして聴いてみると、先ほどは克服すべき問題と思っていたことを、相手が成長するために必要な試練ととらえることができ、純粋に相手を応援する気持ち(「あたたかい心(愛)」)が生まれてくることもあります。
つまり聴く人は、相手の話の内容や様子にかかわらず「この人の本質は『あたたかい心(愛)』であり、現状は成長のためのプロセスにすぎない。だから自分が相手と一緒に苦しんだり、絶望的になったり、なんとか助けようとして必死にアドバイスを探さなくても大丈夫」と相手を信頼する。そして、起こる出来事を必然ととらえて、自分の心の平和を乱さないようにすることが大切で、そうすることではじめて純粋に相手の話を聴くことができるのだと思います。
こうした心持ちでいるのは簡単ではないですが、自分の過去や未来もいったん手放して、現在と相手に意識を集中するということは、自分を「無」にする瞑想と似ている気がします。だからこそ、相手と一定の距離で並走したまま、ストレスなく話を聴くことができるのかもしれません。

純粋に相手の話を聴けていない、アドバイスしたくなってしまっているといった違和感が私に生じたのは、強く共感してしまうこと、自分の中で問題だととらえていることに触れたときでした。相手に自分を重ねてしまうから、意識が勝手に解決策を見つけ出そうとするのでしょう。
相手を想って絞り出したはずのアドバイスが、実は自分に伝えたい事なのだとしたら、先導しようと詰めすぎてしまった相手との距離を、もとの並走に戻せばいいだけなのですが、言うは易く行うは難し。今年一年かけて、実践してみる必要がありそうです。
純粋に相手の話を聴き、並走するように関わることができたなら、自分という存在の輪郭が、よりくっきりと浮かび上がってくるような気がしています。
★★★
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工藤知子
1988年、北海道函館市出身。2008年、上京。大学で心理学、農業、フェアトレードなどを学ぶうちに、心と身体がすこやかであれば幸せに生きることができると思い至る。卒業後、有限会社あきゅらいず美養品へ入社。商品管理・広報などの業務の中、中医学・食養生などを学び、肌は心と身体の鏡であることを実感。2014年、退職を機に東北を中心に旅をした後、帰郷。4月より穂高養生園のスタッフとして長野県安曇野市で暮らし始める。現在は、心と身体がすこやかであるための探究をライフワークに、知恵と実践を求めて修行中。
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