
私が“冷えとり健康法”と出会ったのは、大学生の頃、一冊の本がきっかけでした。書店を出ようとしたときに、ふと目に留まった「冷えとりガールのスタイルブック」と書かれた黄色い表紙。お洒落やファッションへの情熱もひと段落して、飽きのこないシンプルな着こなしが定着してきた頃だったので、“スタイルブック”にはあまり関心が持てませんでした。
私が興味を惹かれたのは“冷えとりガール”という聞き慣れない言葉。
「冷え症ガールならばよく知っているけど(むしろ私のことだ)、冷えをとるってどういうこと……?」
パラパラとページをめくると、そこに登場したのは「リンネル」や「天然生活」に登場しそうな、ナチュラルでふんわりとしたファッションに身を包んだ、当時の私より10歳以上年上の女性たち。何枚もの靴下を重ね履き、レギンスやレッグウォーマー、湯たんぽ、1サイズ大きめのダンスコやビルケンの靴を愛用している彼女たちは、穏やかで、なんだかとても幸せそうに見えました。
この本は、一見ナチュラル系のファッション誌のように見えて、全然違う。
彼女たちのファッションは、自分を着飾ることでも、洋服を主役に据えるわけでもなく、“冷えとり”によって自分のからだをいたわることが前提にあって、ファッションを通して心地良い暮らしをしている様子が垣間見えるようでした。
「そんな“スタイルブック”だとしたら、興味がある。そして、きっとこの本で紹介されている“冷えとり健康法”には、もっと本質的な“なにか”があって、私のこれからに大切なものが詰まっているはず。」
気づけば私はその本を抱えてレジに進み、家に帰るなり夢中で読みはじめ、さっそく“冷えとり健康法”の生みの親である進藤義晴先生の著書「万病を治す冷えとり健康法」と、冷えとり用の靴下が買えるお店を調べていました。
そうして数日後から、私の冷えとり生活がはじまったのです。
夏でも靴下を重ね履きし続けた日々

理屈っぽくて疑い深く、物事を斜に構えがちな私にしてはとても珍しく、まずは本に書いてあることを鵜呑みにして、冷えとり用の靴下を最低4~6枚、多いときは10枚ほど重ね履き、腹巻、レギンス、レッグウォーマー、ホッカイロを駆使して下半身をあたため、半身浴と湯たんぽで眠る生活を続けていました。何故そこまで自然と、“冷えとり”を取り入れることができたのかというと、本に出会った時の自分の直感を信じていたからです。
当時はまだ(少なくとも私の周りでは)“冷えとり健康法”の認知度が低く、冷えとり用の靴下などが手に入るお店も限られていて、友人や彼氏の不思議そうな視線を集めることもありました。
真夏でも靴下を重ね履きしている姿に、だいたいの人たちが「信じられない」と笑うのに、母だけは初めから好意的に受け止めてくれました。
地元の函館を離れ東京で一人暮らしをしていたので、母は私のもこもこした足元を実際に見てはいなかったけれど、「冷えとりってどんなものなの?」と興味を持ち、「それはとても良さそうだね」と肯定しくれる電話の声を聴いていると、中高生の頃(特に高校時代は反抗期真っ只中)薄着で出かける私を見ては、「下半身を冷やしてはいけない」と口うるさかった母の言葉がよみがえってきました。
数年かけて母の言葉を理解することができた時、私は自分が愛されているんだという実感と感謝、周囲の反応を気にせず、自分の直感と行動でここまで辿り着いたのだという誇らしさが湧いてきて、心がふわっと軽くなり、じんわりとしたあたたかさがおなかのあたりに広がるような気がしました。
からだの冷えと心の冷えの関係
“冷えとり健康法”では、からだの冷え(冷え症だけでなく、下が冷たく上が熱い状態のこと全般を指す)の他に、心の冷えも考えます。イライラしたり、不安になったりといった心の乱れが冷えを招き、それによってあらゆる体調不良が起こることでまた気持ちが滅入り、本能が狂い、さらに冷えることをしたくなる……といった悪循環。
最初はいまいちピンとこなかった心の冷えについても、冷えとりをはじめたことで徐々に悪循環がたち切られ、心の乱れを感じるとからだが冷えたり、逆に火照ってのぼせてきたり(これも冷えが原因)といった感覚をつかめるようになりました。そういう時は、まずは下半身をあたためると良いのです。


冷えとりをはじめて5年目の今。
私の心とからだに起こり続けている変化と気づきを、丁寧にすくいとるように言葉にすることで、最初に本を手にしたときに感じた、冷えとりの持つ本質的な“なにか”とはなんなのか、すこやかに生きるためのヒントを探っていこうと思います。
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工藤知子
1988年、北海道函館市出身。2008年、上京。大学で心理学、農業、フェアトレードなどを学ぶうちに、心と身体がすこやかであれば幸せに生きることができると思い至る。卒業後、有限会社あきゅらいず美養品へ入社。商品管理・広報などの業務の中、中医学・食養生などを学び、肌は心と身体の鏡であることを実感。2014年、退職を機に東北を中心に旅をした後、帰郷。4月より穂高養生園のスタッフとして長野県安曇野市で暮らし始める。現在は、心と身体がすこやかであるための探究をライフワークに、知恵と実践を求めて修行中。
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