
始まりは、今から10年あまり前の2006年頃のことだった。『欲しいのは、あなただけ』や『エンキョリレンアイ』が多くの読者の共感を得たことから、私のもとへは「せつない恋愛小説を書いて下さい」という依頼が、ひっきりなしに入るようになっていた。
彼女もそのような編集者のひとりだったが、彼女の依頼の言葉は、ほかの人とはちょっと違っていた。
「優しくて残酷な物語を書いて下さい」
優しくて残酷。これほど見事に、恋愛の真髄を言い当てている言葉があるだろうか。私はいたく感心し、彼女の依頼を引き受けた。6年後の2012年、優しくて残酷な恋愛小説『泣くほどの恋じゃない』(原書房)を上梓することができた。

この作品の原稿を挟んで、海を隔てて彼女と意見交換をしているさなかに、「あっ」と驚くような出来事が起こった。主人公の好きになった人には愛娘がいる、という設定にしていたのだが、私はその子を、ダウン症の女の子として登場させていた。アメリカではダウン症の子は「神様の子」として、みんなから大切にされている。私のまわりにも何人か、天使みたいな人たちがいた。つまり私にとっては、彼ら、彼女たちは身近な存在だった。
ある日、彼女からメールが届いた。そのメールを読んで初めて知った。なんと、彼女が育てていたのも、ダウン症の息子さんだったのである。小説を書いていると、このような「符合」はときどき起こる。ときには、小説が現実を先取りすることもある。そういう不思議な力がフィクションにはある。
私は彼女に、なぜダウン症の子を作中に登場させたのか(しかも、重要な役割を果たす脇役として)について、伝えた。そして、私の叔父のひとりには知的障害者がいること、私の母は視覚障害者であること、だから昔から、障害者は私にとって決して特別な存在ではなく、ごく近しい存在、いわば「ごく普通の存在」でありつづけている、ということも。

以来、彼女とはよく、障害や障害者について、語り合うようになった。そして、次の作品はぜひ、このことをメインテーマにして書いていただけないかという新たな依頼もいただいた。もちろん、お引き受けした。「障害とともに生きる人たち」については、私自身、いつか書きたい、書かねばならない、と思っていたし、それはそのまま、いつか、母のことを、叔父のことを書きたい、という思いにぴたりと重なっていた。
執筆に取りかかって数ヶ月後、彼女からこんな連絡が届いた。「体の不自由な子どもたちの通う、東京都立光明特別支援学校の子どもたちが、戦時中、身体障害者であるという理由で疎開させてもらえなかったという歴史的事実を本にしたいと考えている」と。その時点では、この作品は、大人向けのノンフィクションになる予定だった。が、彼女の意中のノンフィクション作家は多忙で、しかるべき書き手が見つからないという。
「私に書かせて下さい」
大胆不適にも、私はそう申し出た。ただし、大人向けではなくて、子ども向けのノンフィクションとして、書かせていただけないだろうか、と。まだ、差別意識に汚されていない子どもたちにこそ、障害や障害者について書かれた本を読んでもらいたいと思ったからである。
こうしてできあがったのが、このエッセイの過去の回でもご紹介した『あんずの木の下で-----体の不自由な子どもたちの太平洋戦争』である。
それからちょうど1年が過ぎて、この作品を書いているあいだは中断していた、もう1冊の原稿を完成させることができた。それが、私の母、叔父をふくめた「障害とともに生きる人たち」を描いた連作集『曲がり木たち』である。

「曲がり木」という言葉は、彼女が発見して、私に教えてくれた。木々の枝や幹は、まっすぐなものもあるけれど、それと同じくらい、曲がっているものもある。曲がっている幹や枝を使って、さまざまな道具や家具や調度品がつくられている。
ベンチもそのひとつだ。たとえば、ベンチの手すりの部分に使われている曲がり木は、ちょうどいい感じのカーブをつくって、椅子をより座りやすく、より快適にしてくれている。それと同じように、障害とともに生きる人たちも、実にさまざまな場所で活躍し(アメリカでは特に)、世の中をより明るく、より生きやすくしてくれているように、私には思えてならない。アメリカでは、障害者は「チャレンジする人」と呼ばれている。
『曲がり木たち』をいっしょにつくった彼女と、刊行を間近にして、「偏見とは? 差別とは?」について、意見を交換したことがあった。
差別はある程度、なくせるのかもしれない。差別をなくするような制度を整えることによっても。しかし、人の心からいっさいの偏見をなくす、ということが、果たして可能なのかどうか。
彼女は語っていた。「人は誰しも、何かしらの『偏見』を持っているものではないでしょうか。私の息子を見る人のまなざしのなかに、『自分は偏見を持っているのか、いないのか』という葛藤が、見え隠れしていることがあります。そのような偏見はおそらく、知識や経験の不足から来るものだと思います」
確かにその通りだと思った。偏見が差別につながっていくかどうか。それは、その人がどれだけ障害について知り、障害を理解しているか、また、その人の隣人や友人に障害者がいるかどうかとも関係しているのではないだろうか。

『曲がり木たち』でできたベンチに、私は読者をいざないたい。
この作品集を通して、障害者と友だちに、知り合いに、なっていただきたい。障害者が障害とともに生きているように、障害を持たない人たちもまた、障害とともに生きているのだということを、知って欲しい。偏見や差別から解放されることは、実は障害者よりも、そうではない人たちにとってこそ、気持ちのいいことであるに違いない。
彼女もそのような編集者のひとりだったが、彼女の依頼の言葉は、ほかの人とはちょっと違っていた。
「優しくて残酷な物語を書いて下さい」
優しくて残酷。これほど見事に、恋愛の真髄を言い当てている言葉があるだろうか。私はいたく感心し、彼女の依頼を引き受けた。6年後の2012年、優しくて残酷な恋愛小説『泣くほどの恋じゃない』(原書房)を上梓することができた。

この作品の原稿を挟んで、海を隔てて彼女と意見交換をしているさなかに、「あっ」と驚くような出来事が起こった。主人公の好きになった人には愛娘がいる、という設定にしていたのだが、私はその子を、ダウン症の女の子として登場させていた。アメリカではダウン症の子は「神様の子」として、みんなから大切にされている。私のまわりにも何人か、天使みたいな人たちがいた。つまり私にとっては、彼ら、彼女たちは身近な存在だった。
ある日、彼女からメールが届いた。そのメールを読んで初めて知った。なんと、彼女が育てていたのも、ダウン症の息子さんだったのである。小説を書いていると、このような「符合」はときどき起こる。ときには、小説が現実を先取りすることもある。そういう不思議な力がフィクションにはある。
私は彼女に、なぜダウン症の子を作中に登場させたのか(しかも、重要な役割を果たす脇役として)について、伝えた。そして、私の叔父のひとりには知的障害者がいること、私の母は視覚障害者であること、だから昔から、障害者は私にとって決して特別な存在ではなく、ごく近しい存在、いわば「ごく普通の存在」でありつづけている、ということも。

以来、彼女とはよく、障害や障害者について、語り合うようになった。そして、次の作品はぜひ、このことをメインテーマにして書いていただけないかという新たな依頼もいただいた。もちろん、お引き受けした。「障害とともに生きる人たち」については、私自身、いつか書きたい、書かねばならない、と思っていたし、それはそのまま、いつか、母のことを、叔父のことを書きたい、という思いにぴたりと重なっていた。
執筆に取りかかって数ヶ月後、彼女からこんな連絡が届いた。「体の不自由な子どもたちの通う、東京都立光明特別支援学校の子どもたちが、戦時中、身体障害者であるという理由で疎開させてもらえなかったという歴史的事実を本にしたいと考えている」と。その時点では、この作品は、大人向けのノンフィクションになる予定だった。が、彼女の意中のノンフィクション作家は多忙で、しかるべき書き手が見つからないという。
「私に書かせて下さい」
大胆不適にも、私はそう申し出た。ただし、大人向けではなくて、子ども向けのノンフィクションとして、書かせていただけないだろうか、と。まだ、差別意識に汚されていない子どもたちにこそ、障害や障害者について書かれた本を読んでもらいたいと思ったからである。
こうしてできあがったのが、このエッセイの過去の回でもご紹介した『あんずの木の下で-----体の不自由な子どもたちの太平洋戦争』である。
それからちょうど1年が過ぎて、この作品を書いているあいだは中断していた、もう1冊の原稿を完成させることができた。それが、私の母、叔父をふくめた「障害とともに生きる人たち」を描いた連作集『曲がり木たち』である。

「曲がり木」という言葉は、彼女が発見して、私に教えてくれた。木々の枝や幹は、まっすぐなものもあるけれど、それと同じくらい、曲がっているものもある。曲がっている幹や枝を使って、さまざまな道具や家具や調度品がつくられている。
ベンチもそのひとつだ。たとえば、ベンチの手すりの部分に使われている曲がり木は、ちょうどいい感じのカーブをつくって、椅子をより座りやすく、より快適にしてくれている。それと同じように、障害とともに生きる人たちも、実にさまざまな場所で活躍し(アメリカでは特に)、世の中をより明るく、より生きやすくしてくれているように、私には思えてならない。アメリカでは、障害者は「チャレンジする人」と呼ばれている。
『曲がり木たち』をいっしょにつくった彼女と、刊行を間近にして、「偏見とは? 差別とは?」について、意見を交換したことがあった。
差別はある程度、なくせるのかもしれない。差別をなくするような制度を整えることによっても。しかし、人の心からいっさいの偏見をなくす、ということが、果たして可能なのかどうか。
彼女は語っていた。「人は誰しも、何かしらの『偏見』を持っているものではないでしょうか。私の息子を見る人のまなざしのなかに、『自分は偏見を持っているのか、いないのか』という葛藤が、見え隠れしていることがあります。そのような偏見はおそらく、知識や経験の不足から来るものだと思います」
確かにその通りだと思った。偏見が差別につながっていくかどうか。それは、その人がどれだけ障害について知り、障害を理解しているか、また、その人の隣人や友人に障害者がいるかどうかとも関係しているのではないだろうか。

『曲がり木たち』でできたベンチに、私は読者をいざないたい。
この作品集を通して、障害者と友だちに、知り合いに、なっていただきたい。障害者が障害とともに生きているように、障害を持たない人たちもまた、障害とともに生きているのだということを、知って欲しい。偏見や差別から解放されることは、実は障害者よりも、そうではない人たちにとってこそ、気持ちのいいことであるに違いない。
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小手鞠るい(こでまり るい)
1956年生まれ。小説家。1981年、やなせたかしが編集長をつとめる雑誌「詩とメルヘン」の年間賞を受賞し、詩人としてデビュー。1993年、『おとぎ話』で第12回海燕新人文学賞受賞。1995年、受賞作を含む作品集『玉手箱』を出版。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で第12回島清恋愛文学賞を受賞。2009年、原作を手がけた絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』でボローニャ国際児童図書賞。主な著書に『空と海のであう場所』『望月青果店』『九死一生』『美しい心臓』『アップルソング』『テルアビブの犬』『優しいライオン---やなせたかし先生からの贈り物』『私の何をあなたは憶えているの』など多数。
仕事部屋からのつぶやきは→https://twitter.com/kodemarirui