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NYの森からきれいに私生活
第52回 あなたは忙しいですか?-------日本語の謎に迫る
2016.09.17
生まれてからきょうまで、かれこれ60年以上も日本語で会話をし、日本語で文章や詩を書き、日本語で書かれた本を毎日、読んでいるわけだが、私にとって日本語とは「頼りになる道具」であると同時に「永遠に解けない謎」のようでもある。
謎は時として、誤解を招くこともあるし、謎に包まれているからこそ魅せられている、とも言える。その謎は一生、答えを追い求めていく価値のあるものだと思っている。

つい最近、こんなことがあった。
児童書の編集者から、一枚の装画がメールに添付されて送られてきた。彼の言葉によれば「この絵はサンプルです」という。つまり彼は、物語の作者である私に「サンプルの絵ができあがりましたので、見て下さい」と連絡をしてきたのである。
なるほど、サンプルか。と、私は思った。サンプルということは見本。見本ということは、これはまだ本番の絵ではない。このあと、細かい修正などを加えて、最終的に仕上げる前の段階の絵なのだな、と。だから、サンプルを私に見せて、文章との齟齬がないか、物語の内容に合っているか、テーマをきちんと表現できているか、そういったことを検討したいと考えているに違いない。
彼のリクエストに応えて、サンプルの絵に対する感想や意見を述べるとともに、いくつか、修正するべき点をリクエストした。たとえば、本文にはまったく出てこない小道具などが描かれていたので、これは「描かない方がいいのでは」というようなリクエストである。5つほど、指摘した。
他社での仕事においても、これまでにも、同様のやりとりは何度も経験している。サンプルではなくて、本番の絵が送られてきたときにも、ここはどうしても直すべきという点が見つかれば、編集者と意見交換をした上で、画家にもどして、描き直してもらうようにしている。
だから当然、このサンプル画にも修正を加えてもらえるのだろうと思っていた。

しかし、彼からは、予想に反して「それはできません」という返事がもどってきた。なぜなら「このサンプル画は『この絵を正式に採用』という前提で、描いてもらったものだからです」という。「ええっ!」と私は驚いた。あわててメールを書いた。サンプルというのは「試作品」ではなくて「完成画」ということだったのですか、と。
「サンプル」という日本語を、彼は「商品見本」(私に見せるという意味をこめて「見本」という言葉を使ったのかもしれない)ととらえていて、私はそれを「ラフ」あるいは「下書き」というふうにとらえていた、ということなのである。
たかがサンプル、されどサンプル。このサンプル問題は結局、私が折れる、妥協する、という方向で決着した。ただし、これ以後、すべての絵の「ラフ画」をまず私に見せて下さい、それからサンプルを描いて下さい、というリクエストをしておいた。
この出来事を経験しているさいちゅうに、私の脳裏を、ある日本語が何度も横切っていった。それは「黙殺」という言葉である。

「黙殺」の意味は、わかっていながらあえて問題にしないで、それを無視すること。たとえば「少数意見を黙殺する」というふうに使う。
ここでいきなり時代はさかのぼって、1945年8月。敗戦直前の日本では、連合軍から提示された、事実上は無条件降伏を意味するポツダム宣言を受諾するかどうかで、もめにもめていた。検討に検討を重ねた結果、軍部と日本政府はまず、この宣言を「黙殺する」と返答した。つまり、日本はポツダム宣言を無視することにしたわけである。決して、受諾を「拒否」したわけではない。日本にとって、より良い条件に変更してもらえたなら、ゆくゆくは受諾するかもしれない。そういう意味をこめた「黙殺」だった。
しかしながら、この「黙殺」という日本語は悲しいかな、「拒否」という意味の英語に翻訳されてしまった。その結果、広島と長崎に原爆が落とされるという歴史的な大惨事が起こった。もちろん、原爆投下の背景には、その他の要因も多々、存在している。が、この「黙殺」という日本語の誤訳もまた、人類の歴史が始まって以来、初の原爆投下という悲劇を引き起こした一因となった。
樹木から舞い落ちた一枚の木の葉にも、植物の生命が宿っているように、たった一語の言の葉にも、歴史を動かす、あるいは歴史を変えてしまうような力が潜んでいるということだと思う。
私はふだん、家の外では英語を使っているわけだけれど、ときどき「へえっ! この言葉には、そういう意味もあったのか」と驚かされたり、目から鱗が落ちたりするような英単語に出会うことがある。

わかりやすい例をひとつだけ、挙げてみよう。
誰でも知っている「busy」という英単語。日本語では「忙しい」という意味になる。けれども、この「busy」という言葉、たとえば「この車の内装はbusyだね」というふうに使われることがある。日本語に直せば「煩雑だ」「ごちゃごちゃしている」「安っぽい」というような意味合いで使われているのではないかと思う。
よく考えてみれば、「忙しい、忙しい」と言っている人に限って、その人の手がけている仕事は雑になりがちだし、忙しい人の生活や人生はすっきりしていなくて、ごちゃごちゃしているような気がする。忙しいことは、決して上品ではない。確かに安っぽい。「忙」という文字は「心を亡くす」と書く。
このことに気づいてから、私は、どんなに忙しくても「忙しい」とは言えなくなった。「忙しくて時間がない」などとは、口が避けても言わないようにしている。どんなに忙しくても、時間は作ろうと思えば作れる。「忙しくて時間がない」は言い訳に過ぎない。
では、どう言っているのか。「仕事がたくさんあって、充実しています」。物は言いようとはこのことだろうか。つまり私は「忙しい」を「充実している」と翻訳しているのである。我ながら名訳ではないかと思うのだけれど、いかがでしょうか?
ところであなたは今、忙しいですか?
謎は時として、誤解を招くこともあるし、謎に包まれているからこそ魅せられている、とも言える。その謎は一生、答えを追い求めていく価値のあるものだと思っている。

つい最近、こんなことがあった。
児童書の編集者から、一枚の装画がメールに添付されて送られてきた。彼の言葉によれば「この絵はサンプルです」という。つまり彼は、物語の作者である私に「サンプルの絵ができあがりましたので、見て下さい」と連絡をしてきたのである。
なるほど、サンプルか。と、私は思った。サンプルということは見本。見本ということは、これはまだ本番の絵ではない。このあと、細かい修正などを加えて、最終的に仕上げる前の段階の絵なのだな、と。だから、サンプルを私に見せて、文章との齟齬がないか、物語の内容に合っているか、テーマをきちんと表現できているか、そういったことを検討したいと考えているに違いない。
彼のリクエストに応えて、サンプルの絵に対する感想や意見を述べるとともに、いくつか、修正するべき点をリクエストした。たとえば、本文にはまったく出てこない小道具などが描かれていたので、これは「描かない方がいいのでは」というようなリクエストである。5つほど、指摘した。
他社での仕事においても、これまでにも、同様のやりとりは何度も経験している。サンプルではなくて、本番の絵が送られてきたときにも、ここはどうしても直すべきという点が見つかれば、編集者と意見交換をした上で、画家にもどして、描き直してもらうようにしている。
だから当然、このサンプル画にも修正を加えてもらえるのだろうと思っていた。

しかし、彼からは、予想に反して「それはできません」という返事がもどってきた。なぜなら「このサンプル画は『この絵を正式に採用』という前提で、描いてもらったものだからです」という。「ええっ!」と私は驚いた。あわててメールを書いた。サンプルというのは「試作品」ではなくて「完成画」ということだったのですか、と。
「サンプル」という日本語を、彼は「商品見本」(私に見せるという意味をこめて「見本」という言葉を使ったのかもしれない)ととらえていて、私はそれを「ラフ」あるいは「下書き」というふうにとらえていた、ということなのである。
たかがサンプル、されどサンプル。このサンプル問題は結局、私が折れる、妥協する、という方向で決着した。ただし、これ以後、すべての絵の「ラフ画」をまず私に見せて下さい、それからサンプルを描いて下さい、というリクエストをしておいた。
この出来事を経験しているさいちゅうに、私の脳裏を、ある日本語が何度も横切っていった。それは「黙殺」という言葉である。

「黙殺」の意味は、わかっていながらあえて問題にしないで、それを無視すること。たとえば「少数意見を黙殺する」というふうに使う。
ここでいきなり時代はさかのぼって、1945年8月。敗戦直前の日本では、連合軍から提示された、事実上は無条件降伏を意味するポツダム宣言を受諾するかどうかで、もめにもめていた。検討に検討を重ねた結果、軍部と日本政府はまず、この宣言を「黙殺する」と返答した。つまり、日本はポツダム宣言を無視することにしたわけである。決して、受諾を「拒否」したわけではない。日本にとって、より良い条件に変更してもらえたなら、ゆくゆくは受諾するかもしれない。そういう意味をこめた「黙殺」だった。
しかしながら、この「黙殺」という日本語は悲しいかな、「拒否」という意味の英語に翻訳されてしまった。その結果、広島と長崎に原爆が落とされるという歴史的な大惨事が起こった。もちろん、原爆投下の背景には、その他の要因も多々、存在している。が、この「黙殺」という日本語の誤訳もまた、人類の歴史が始まって以来、初の原爆投下という悲劇を引き起こした一因となった。
樹木から舞い落ちた一枚の木の葉にも、植物の生命が宿っているように、たった一語の言の葉にも、歴史を動かす、あるいは歴史を変えてしまうような力が潜んでいるということだと思う。
私はふだん、家の外では英語を使っているわけだけれど、ときどき「へえっ! この言葉には、そういう意味もあったのか」と驚かされたり、目から鱗が落ちたりするような英単語に出会うことがある。

わかりやすい例をひとつだけ、挙げてみよう。
誰でも知っている「busy」という英単語。日本語では「忙しい」という意味になる。けれども、この「busy」という言葉、たとえば「この車の内装はbusyだね」というふうに使われることがある。日本語に直せば「煩雑だ」「ごちゃごちゃしている」「安っぽい」というような意味合いで使われているのではないかと思う。
よく考えてみれば、「忙しい、忙しい」と言っている人に限って、その人の手がけている仕事は雑になりがちだし、忙しい人の生活や人生はすっきりしていなくて、ごちゃごちゃしているような気がする。忙しいことは、決して上品ではない。確かに安っぽい。「忙」という文字は「心を亡くす」と書く。
このことに気づいてから、私は、どんなに忙しくても「忙しい」とは言えなくなった。「忙しくて時間がない」などとは、口が避けても言わないようにしている。どんなに忙しくても、時間は作ろうと思えば作れる。「忙しくて時間がない」は言い訳に過ぎない。
では、どう言っているのか。「仕事がたくさんあって、充実しています」。物は言いようとはこのことだろうか。つまり私は「忙しい」を「充実している」と翻訳しているのである。我ながら名訳ではないかと思うのだけれど、いかがでしょうか?
ところであなたは今、忙しいですか?
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小手鞠るい(こでまり るい)
1956年生まれ。小説家。1981年、やなせたかしが編集長をつとめる雑誌「詩とメルヘン」の年間賞を受賞し、詩人としてデビュー。1993年、『おとぎ話』で第12回海燕新人文学賞受賞。1995年、受賞作を含む作品集『玉手箱』を出版。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で第12回島清恋愛文学賞を受賞。2009年、原作を手がけた絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』でボローニャ国際児童図書賞。主な著書に『空と海のであう場所』『望月青果店』『九死一生』『美しい心臓』『アップルソング』『テルアビブの犬』『優しいライオン---やなせたかし先生からの贈り物』『私の何をあなたは憶えているの』など多数。
仕事部屋からのつぶやきは→https://twitter.com/kodemarirui