
アメリカではいよいよ、女性大統領が誕生しようとしている。東京都でも、初の女性都知事が誕生したばかりだ。喜ばしい。

しかし、この「女性大統領」「女性都知事」という言葉、つまり「女性〇〇」という言い方が世の中からすっかり消えてしまったときこそ、真の意味での男女平等な社会が実現したと言えるのではないか。私はそう考えている。
確固たる男性社会というものがまずあって、そこに女性がどんどん進出してきている、というのが、現代の日本社会の構図だと思う。これが逆転すること、あるいは、逆転の一歩手前くらいまで来ること。そこまで到達して初めて、女性にとっても男性にとっても、大人にとっても子どもにとっても、生きやすくて住みやすい日本社会が築き上げられたと言えるのではないだろうか。
私が20代だった頃、大学を卒業して新卒で採用された会社では、面接試験のときから「女性社員はどうせ腰かけだからね」と、公然と口にされていた。雇う側も雇われる側もそのように思っていた。女性は、結婚したら会社を辞めるのが普通だったのである。
それよりも少し前には、大学を卒業したら「家事手伝いをするか、就職するか」で悩んでいた女性たちが多かった。家事手伝いは「花嫁修業」と呼ばれており、結婚することは「永久就職」と呼ばれていた。父親、夫、息子、と、女性は一生、男に庇護されて生きるのが幸せ。まるで笑い話のように聞こえるかもしれないが、私はそのような時代----女性にとっての氷河期----を生きてきた。
この氷河は今、かなり融けてきているのではないかと実感している。

私のまわりでも、結婚したら仕事を辞める、などと言っている女性は皆無に近いし、10年くらい前まではまだまだ多かった「子どもができたら会社を辞める」という人も、今ではほとんどいなくなっている。
既婚・未婚・子どもの有無を問わず、女性が普通に仕事をつづけていけるような職場環境がととのってきている、という証拠ではないかと思う。男女平等を実現するためには、人々の意識と社会制度の両方を変えていかなくてはならない。男性だけではなくて、女性自身も「女も男も一生、働くのが当たり前」という意識を持つことが重要だと思う。
そんなことを考えながら、地球の反対側で、東京都知事選挙の様子を眺めていた私だったが、ある日、流れてきたニュースにガツンと衝撃を受けた。いや、衝撃というよりはむしろ、あいた口がふさがらない、と言った方が近いか。あきれてしまい、唖然としてしまい、悲しくもあると同時に、なんだか笑いたくもなってしまった。
「大年増で、厚化粧の女に、東京を任せられるか」
もと東京都知事だった男性の、有力な女性候補者に対する発言である。明らかに、女性に対する差別的な発言である。若くて薄化粧の女性になら、東京を任せてもいいのか。もしもアメリカでこのような発言があれば、政治界のみならず、国中に波紋が広がり、国民全体からブーイングの嵐が巻き起こるのは必至である。
この発言を耳にしたとき、まず「ああ、日本は変わらないんだなぁ」と、私は思った。
私が日本で暮らしていた90年代前半までは、実はこのような発言は、特に珍しいものではなかった。女性に対するセクシャルハラスメントは、日常茶飯事だった。30代の頃に働いていた学習塾では、男性講師が朝いちばんに私に「きょうのパンティの色は何色?」と平気で尋ねてきたし、フリーライター時代には「俺と寝なければ、おまえの本は出してやらない」と脅されたことだってある。
もう、あのような暗黒の時代は過ぎ去ったものと思っていたのに-----

暗澹たる気持ちになりながらも、その一方で「素晴らしいなぁ」と感心したのは、女性新都知事の反応だった。テレビ番組に出演中、彼女は、女性ニュースキャスターから、この発言についてどう思うかと問われて、このようにコメントしていた(正確な引用ではありません。私の言葉でまとめてあります)。
「どうってことありません。こういうことは、今も昔もしょっちゅうあることです。もっとひどいことを言われたことだって、あります。日本は、おっさん社会ですからね。おっさんの言うことに、いちいち過剰反応していられません。笑ってさらっと受け流しておくに限ります。ところで、あなたにも同じような経験はありませんか?」
このコメントを受けて、女性ニュースキャスターは叫ぶように言った。
「ありますよー! もちろん!!!」
聞きながら、私も叫んでいた。ありますよー! もちろん!!!
女性新都知事の穏やかでさわやかなコメント----しかし「日本はおっさん社会」と、彼女はきっぱりと釘を刺していた。思わず快哉を叫びたくなった----に、私はモハメッド・アリの華麗な戦法を重ね合わせていた。蝶のように優雅に舞いながら相手の攻撃をかわし、最後は蜂のように相手を刺す、というあの闘い方である。
吠えたり、噛みついたり、目を三角にして声高に主張したりするのではなく、あくまでも優雅に、女らしく美しく、しかし果敢に容赦なく、刺すべきときにはぐさりと刺す。これこそが、21世紀の闘う女のあるべき姿ではないかと思った。

最後に、久々の新刊のご案内を。毎日が女性差別、年齢差別、セクハラとの闘いだった、私の20代から30代にかけて。東京でフリーライターとして働いていた時代(大人すはだの編集長Konomiさんといっしょに手がけた仕事もたくさん)の体験を色濃く反映させて、男社会と闘う1匹狼女の孤軍奮闘ぶりをおもしろおかしく綴った『闘う女』という作品が、8月9日に刊行されました。角川春樹事務所刊、ハルキ文庫の書き下ろし長編小説。キャッチフレーズは「女の武器は、夢と飽くなき野望だけ」。主人公の水沢菊香に、どうか清き一票を入れてやって下さい。

しかし、この「女性大統領」「女性都知事」という言葉、つまり「女性〇〇」という言い方が世の中からすっかり消えてしまったときこそ、真の意味での男女平等な社会が実現したと言えるのではないか。私はそう考えている。
確固たる男性社会というものがまずあって、そこに女性がどんどん進出してきている、というのが、現代の日本社会の構図だと思う。これが逆転すること、あるいは、逆転の一歩手前くらいまで来ること。そこまで到達して初めて、女性にとっても男性にとっても、大人にとっても子どもにとっても、生きやすくて住みやすい日本社会が築き上げられたと言えるのではないだろうか。
私が20代だった頃、大学を卒業して新卒で採用された会社では、面接試験のときから「女性社員はどうせ腰かけだからね」と、公然と口にされていた。雇う側も雇われる側もそのように思っていた。女性は、結婚したら会社を辞めるのが普通だったのである。
それよりも少し前には、大学を卒業したら「家事手伝いをするか、就職するか」で悩んでいた女性たちが多かった。家事手伝いは「花嫁修業」と呼ばれており、結婚することは「永久就職」と呼ばれていた。父親、夫、息子、と、女性は一生、男に庇護されて生きるのが幸せ。まるで笑い話のように聞こえるかもしれないが、私はそのような時代----女性にとっての氷河期----を生きてきた。
この氷河は今、かなり融けてきているのではないかと実感している。

私のまわりでも、結婚したら仕事を辞める、などと言っている女性は皆無に近いし、10年くらい前まではまだまだ多かった「子どもができたら会社を辞める」という人も、今ではほとんどいなくなっている。
既婚・未婚・子どもの有無を問わず、女性が普通に仕事をつづけていけるような職場環境がととのってきている、という証拠ではないかと思う。男女平等を実現するためには、人々の意識と社会制度の両方を変えていかなくてはならない。男性だけではなくて、女性自身も「女も男も一生、働くのが当たり前」という意識を持つことが重要だと思う。
そんなことを考えながら、地球の反対側で、東京都知事選挙の様子を眺めていた私だったが、ある日、流れてきたニュースにガツンと衝撃を受けた。いや、衝撃というよりはむしろ、あいた口がふさがらない、と言った方が近いか。あきれてしまい、唖然としてしまい、悲しくもあると同時に、なんだか笑いたくもなってしまった。
「大年増で、厚化粧の女に、東京を任せられるか」
もと東京都知事だった男性の、有力な女性候補者に対する発言である。明らかに、女性に対する差別的な発言である。若くて薄化粧の女性になら、東京を任せてもいいのか。もしもアメリカでこのような発言があれば、政治界のみならず、国中に波紋が広がり、国民全体からブーイングの嵐が巻き起こるのは必至である。
この発言を耳にしたとき、まず「ああ、日本は変わらないんだなぁ」と、私は思った。
私が日本で暮らしていた90年代前半までは、実はこのような発言は、特に珍しいものではなかった。女性に対するセクシャルハラスメントは、日常茶飯事だった。30代の頃に働いていた学習塾では、男性講師が朝いちばんに私に「きょうのパンティの色は何色?」と平気で尋ねてきたし、フリーライター時代には「俺と寝なければ、おまえの本は出してやらない」と脅されたことだってある。
もう、あのような暗黒の時代は過ぎ去ったものと思っていたのに-----

暗澹たる気持ちになりながらも、その一方で「素晴らしいなぁ」と感心したのは、女性新都知事の反応だった。テレビ番組に出演中、彼女は、女性ニュースキャスターから、この発言についてどう思うかと問われて、このようにコメントしていた(正確な引用ではありません。私の言葉でまとめてあります)。
「どうってことありません。こういうことは、今も昔もしょっちゅうあることです。もっとひどいことを言われたことだって、あります。日本は、おっさん社会ですからね。おっさんの言うことに、いちいち過剰反応していられません。笑ってさらっと受け流しておくに限ります。ところで、あなたにも同じような経験はありませんか?」
このコメントを受けて、女性ニュースキャスターは叫ぶように言った。
「ありますよー! もちろん!!!」
聞きながら、私も叫んでいた。ありますよー! もちろん!!!
女性新都知事の穏やかでさわやかなコメント----しかし「日本はおっさん社会」と、彼女はきっぱりと釘を刺していた。思わず快哉を叫びたくなった----に、私はモハメッド・アリの華麗な戦法を重ね合わせていた。蝶のように優雅に舞いながら相手の攻撃をかわし、最後は蜂のように相手を刺す、というあの闘い方である。
吠えたり、噛みついたり、目を三角にして声高に主張したりするのではなく、あくまでも優雅に、女らしく美しく、しかし果敢に容赦なく、刺すべきときにはぐさりと刺す。これこそが、21世紀の闘う女のあるべき姿ではないかと思った。

最後に、久々の新刊のご案内を。毎日が女性差別、年齢差別、セクハラとの闘いだった、私の20代から30代にかけて。東京でフリーライターとして働いていた時代(大人すはだの編集長Konomiさんといっしょに手がけた仕事もたくさん)の体験を色濃く反映させて、男社会と闘う1匹狼女の孤軍奮闘ぶりをおもしろおかしく綴った『闘う女』という作品が、8月9日に刊行されました。角川春樹事務所刊、ハルキ文庫の書き下ろし長編小説。キャッチフレーズは「女の武器は、夢と飽くなき野望だけ」。主人公の水沢菊香に、どうか清き一票を入れてやって下さい。
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小手鞠るい(こでまり るい)
1956年生まれ。小説家。1981年、やなせたかしが編集長をつとめる雑誌「詩とメルヘン」の年間賞を受賞し、詩人としてデビュー。1993年、『おとぎ話』で第12回海燕新人文学賞受賞。1995年、受賞作を含む作品集『玉手箱』を出版。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で第12回島清恋愛文学賞を受賞。2009年、原作を手がけた絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』でボローニャ国際児童図書賞。主な著書に『空と海のであう場所』『望月青果店』『九死一生』『美しい心臓』『アップルソング』『テルアビブの犬』『優しいライオン---やなせたかし先生からの贈り物』『私の何をあなたは憶えているの』など多数。
仕事部屋からのつぶやきは→https://twitter.com/kodemarirui