
夏の朝は、小鳥の声に起こされる。小鳥の歌を聞きながら朝食をつくって食べ、小鳥のさえずりに包まれて、仕事を始める。午前中、集中的に仕事をしたら、午後は森に走りに行って、走りながら小鳥の観察。もどってきたら、双眼鏡を手に小鳥の観察。夜は小鳥の図鑑を抱えてベッドへ。

森の夏の日々は、小鳥とともに明け、小鳥とともに暮れる。
私を小鳥の世界へといざなってくれたのは、今から5、6年ほど前だったか、うちの玄関先に巣をつくったアメリカン・ロビンだった。日本語名は「こまつぐみ」という。わりと大きめの小鳥で、鳩よりもやや小さいくらい。全体的にはグレイで、胸から腹にかけてはくすんだオレンジ色をしている。春一番に、中南米からアメリカ東部に渡ってくる。「チア、チア、チアリー」と艶のある声で鳴く。
このアメリカン・ロビンが巣のなかにブルーの卵を産んで、温めて孵し、おすとめすが協力してひな鳥を育て上げ、巣立ちをさせるまでの全過程をまのあたりにして以来、私はすっかり小鳥の世界に魅了されてしまった。
いっしょうけんめいで、健気で、意志の強い親鳥。雨が降れば、めすは自分の羽を巣の上に広げて、ひなたちを守っている。おすは「大丈夫か?」と言いたげに、常に巣の周辺で巣をガードしている。ひな鳥は、とにかく可愛い。最初の頃はなんとも頼りなさげで、儚げで、ぽよぽよしていて、でも大きくなっていくにつれて、しっかりと鳥の姿になっていき、最後は羽を広げて大空に向かって飛んでゆく。

それまでは、庭や森で小鳥を見つけても、ただ「ああ、小鳥がいる」「小鳥が飛んでる」としか、思っていなかった。つまり、ひとまとめにして「小鳥」に過ぎなかったわけだが、ひとたび関心を持って眺め始めると、姿形も性格も生態も、実に多種多様な小鳥たちが森には棲息しているのだということに気づいた。
巣の形だって、巣の作り方だって、どこに巣を作るかも、卵の数も色も形も、何もかもが違う。祖先は同じ恐竜だったらしいのだけれど。
アメリカン・ロビンのように暖かい土地から渡ってくる鳥もいれば、冬のあいだもどこへも渡らず、雪原を飛び回っているたくましい小鳥たちもいる。すずめよりも小さな鳥から、ビッグバードと呼ばれている七面鳥まで。とんび、鷹、鷲、ふくろうなどの猛禽類。はげたか。小さな小さなハミングバード。
鳥や小鳥を好きになる、ということはそのまま、森の自然を好きになる、ということに等しい。なぜなら、鳥たちにとって、森とは「家」なのだから。森が破壊されれば、たちどころに、小鳥たちの住む場所はなくなる。

日本に住んでいる小鳥好きの友人から、つい最近、こんなたよりが届いた。彼女の住んでいる町の近くで、なんらかのイベント-----政治家がらみ-----がおこなわれることになり、その「警備上の必要」という理由で、会場周辺の樹木が大々的に伐採されることになった。折しも季節は初夏。そのあたりの木々には、野鳥の巣がたくさん掛かっていたという。
かわいそうだと思った。涙なしには読めないメールだった。政治家を守るために、いったいどれほど多くの小鳥たち、ひなたちが犠牲になったことだろう。人間は、その気になれば自分自身の手で、自分を守れるのではないだろうか。防衛手段はいくらでもあるのではないか。小さな生命、小鳥の方こそを、私たち人間がしっかりと守ってあげなくてはならないのではないか。こんなことを思うのは、私だけだろうか。私の書いていることは、間違っているだろうか。
今年、うちの玄関先には2種類の小鳥が巣を作った。
フィービーという名前の小鳥は、屋根と雨樋のあいだに。ダーク・アイド・ジュンコという名前の小鳥は、フラワーバスケットのなかに。

フィービーはつばめのように、空中を飛んでいる虫を捕まえて食べる。巣は泥で土台を築き、その上に藁や小枝を積み上げて作り、最後に表面を苔で飾る。性格は用心深くて、常に用意周到、物事にじっくり取り組むタイプ。
一方のジュンコは、気が強くて、物事に動じない。恐れを知らない。普通は地面に近いところに藁や小枝で巣を作る。土手の斜面とか、低木の枝と枝のあいだなどに。しかし、巣が地面に近いために、蛇やりすに卵やひなを食べられてしまう危険性が高い。だから、苦肉の策として、私の吊るしたフラワーボックスの土の上に作ったようだ。今年のひなたちは、花のなかで生まれ育ち、花のなかから巣立っていく。
フィービーが巣を作り始めてから、うちの玄関は使用禁止にした(私が夫に、禁止令を発令しました)。私たちは裏口から足音を忍ばせて出入りをし、宅配便の配達員や各種業者には、ガレージのドアからのアクセスを要請。
その後ほどなく、ジュンコが巣を作ってからは、フラワーボックスの水やりに悪戦苦闘している。ジュンコが巣を離れたわずかの隙をねらって、「今だ!」と外に飛び出し、大あわてで水やり。すると、フィービーは驚いて巣を離れてしまうわけだが、こればっかりはどうしようもない。「ごめんね、フィービー」。花が枯れ、ジュンコの巣のなかが丸見えになったら、天敵に見つかって、食べられてしまう。
フィービーもジュンコも両方が「席を外している」とき、私は水やりと玄関の掃き掃除を、夫は洗車や庭整備を、できるだけスピーディに、ばたばたとやっている。

私の計算が合っていれば、フィービーのひなたちが巣立った直後くらいに、ジュンコの卵が孵るはずだ。これから1ヶ月半ほどは、我が家の玄関から目が離せない。
「あっ、孵った!」「あっ、動いてる!」「あっ、頭が見えた!」
「見て見て、今、羽をばたばたさせてたでしょ?」
「この分だと、あしたあたり、巣立ちかなぁ」
「あしたは、何があっても車を出さないようにしないとね」
小鳥のおかげで会話も弾んで、夫婦円満。きょうも素敵に小鳥生活。

森の夏の日々は、小鳥とともに明け、小鳥とともに暮れる。
私を小鳥の世界へといざなってくれたのは、今から5、6年ほど前だったか、うちの玄関先に巣をつくったアメリカン・ロビンだった。日本語名は「こまつぐみ」という。わりと大きめの小鳥で、鳩よりもやや小さいくらい。全体的にはグレイで、胸から腹にかけてはくすんだオレンジ色をしている。春一番に、中南米からアメリカ東部に渡ってくる。「チア、チア、チアリー」と艶のある声で鳴く。
このアメリカン・ロビンが巣のなかにブルーの卵を産んで、温めて孵し、おすとめすが協力してひな鳥を育て上げ、巣立ちをさせるまでの全過程をまのあたりにして以来、私はすっかり小鳥の世界に魅了されてしまった。
いっしょうけんめいで、健気で、意志の強い親鳥。雨が降れば、めすは自分の羽を巣の上に広げて、ひなたちを守っている。おすは「大丈夫か?」と言いたげに、常に巣の周辺で巣をガードしている。ひな鳥は、とにかく可愛い。最初の頃はなんとも頼りなさげで、儚げで、ぽよぽよしていて、でも大きくなっていくにつれて、しっかりと鳥の姿になっていき、最後は羽を広げて大空に向かって飛んでゆく。

それまでは、庭や森で小鳥を見つけても、ただ「ああ、小鳥がいる」「小鳥が飛んでる」としか、思っていなかった。つまり、ひとまとめにして「小鳥」に過ぎなかったわけだが、ひとたび関心を持って眺め始めると、姿形も性格も生態も、実に多種多様な小鳥たちが森には棲息しているのだということに気づいた。
巣の形だって、巣の作り方だって、どこに巣を作るかも、卵の数も色も形も、何もかもが違う。祖先は同じ恐竜だったらしいのだけれど。
アメリカン・ロビンのように暖かい土地から渡ってくる鳥もいれば、冬のあいだもどこへも渡らず、雪原を飛び回っているたくましい小鳥たちもいる。すずめよりも小さな鳥から、ビッグバードと呼ばれている七面鳥まで。とんび、鷹、鷲、ふくろうなどの猛禽類。はげたか。小さな小さなハミングバード。
鳥や小鳥を好きになる、ということはそのまま、森の自然を好きになる、ということに等しい。なぜなら、鳥たちにとって、森とは「家」なのだから。森が破壊されれば、たちどころに、小鳥たちの住む場所はなくなる。

日本に住んでいる小鳥好きの友人から、つい最近、こんなたよりが届いた。彼女の住んでいる町の近くで、なんらかのイベント-----政治家がらみ-----がおこなわれることになり、その「警備上の必要」という理由で、会場周辺の樹木が大々的に伐採されることになった。折しも季節は初夏。そのあたりの木々には、野鳥の巣がたくさん掛かっていたという。
かわいそうだと思った。涙なしには読めないメールだった。政治家を守るために、いったいどれほど多くの小鳥たち、ひなたちが犠牲になったことだろう。人間は、その気になれば自分自身の手で、自分を守れるのではないだろうか。防衛手段はいくらでもあるのではないか。小さな生命、小鳥の方こそを、私たち人間がしっかりと守ってあげなくてはならないのではないか。こんなことを思うのは、私だけだろうか。私の書いていることは、間違っているだろうか。
今年、うちの玄関先には2種類の小鳥が巣を作った。
フィービーという名前の小鳥は、屋根と雨樋のあいだに。ダーク・アイド・ジュンコという名前の小鳥は、フラワーバスケットのなかに。

フィービーはつばめのように、空中を飛んでいる虫を捕まえて食べる。巣は泥で土台を築き、その上に藁や小枝を積み上げて作り、最後に表面を苔で飾る。性格は用心深くて、常に用意周到、物事にじっくり取り組むタイプ。
一方のジュンコは、気が強くて、物事に動じない。恐れを知らない。普通は地面に近いところに藁や小枝で巣を作る。土手の斜面とか、低木の枝と枝のあいだなどに。しかし、巣が地面に近いために、蛇やりすに卵やひなを食べられてしまう危険性が高い。だから、苦肉の策として、私の吊るしたフラワーボックスの土の上に作ったようだ。今年のひなたちは、花のなかで生まれ育ち、花のなかから巣立っていく。
フィービーが巣を作り始めてから、うちの玄関は使用禁止にした(私が夫に、禁止令を発令しました)。私たちは裏口から足音を忍ばせて出入りをし、宅配便の配達員や各種業者には、ガレージのドアからのアクセスを要請。
その後ほどなく、ジュンコが巣を作ってからは、フラワーボックスの水やりに悪戦苦闘している。ジュンコが巣を離れたわずかの隙をねらって、「今だ!」と外に飛び出し、大あわてで水やり。すると、フィービーは驚いて巣を離れてしまうわけだが、こればっかりはどうしようもない。「ごめんね、フィービー」。花が枯れ、ジュンコの巣のなかが丸見えになったら、天敵に見つかって、食べられてしまう。
フィービーもジュンコも両方が「席を外している」とき、私は水やりと玄関の掃き掃除を、夫は洗車や庭整備を、できるだけスピーディに、ばたばたとやっている。

私の計算が合っていれば、フィービーのひなたちが巣立った直後くらいに、ジュンコの卵が孵るはずだ。これから1ヶ月半ほどは、我が家の玄関から目が離せない。
「あっ、孵った!」「あっ、動いてる!」「あっ、頭が見えた!」
「見て見て、今、羽をばたばたさせてたでしょ?」
「この分だと、あしたあたり、巣立ちかなぁ」
「あしたは、何があっても車を出さないようにしないとね」
小鳥のおかげで会話も弾んで、夫婦円満。きょうも素敵に小鳥生活。
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小手鞠るい(こでまり るい)
1956年生まれ。小説家。1981年、やなせたかしが編集長をつとめる雑誌「詩とメルヘン」の年間賞を受賞し、詩人としてデビュー。1993年、『おとぎ話』で第12回海燕新人文学賞受賞。1995年、受賞作を含む作品集『玉手箱』を出版。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で第12回島清恋愛文学賞を受賞。2009年、原作を手がけた絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』でボローニャ国際児童図書賞。主な著書に『空と海のであう場所』『望月青果店』『九死一生』『美しい心臓』『アップルソング』『テルアビブの犬』『優しいライオン---やなせたかし先生からの贈り物』『私の何をあなたは憶えているの』など多数。
仕事部屋からのつぶやきは→https://twitter.com/kodemarirui