
今から30年ほど前(私はまだ、日本で暮らしていました)のことだったと記憶しているが、女性問題に詳しい先輩が「アメリカの女性たちは、日本の女性たちの10年先を行っている」と話していたことがあった。
その時はただ「へえ、そうなのか、すごいなぁ」と、感心していただけに過ぎなかったけれど、実際にアメリカで暮らし始めてからは日々「ああ、あの話は本当だった」と納得させられることしきり。

たとえば、働く女性の家事や育児について。
日本では当時「男性(父親)も協力するべきではないか、分担するべきではないか」と、女性の側からの要望として問題提起がなされていたが、アメリカではまるで違った。アメリカでは「男から、家事や育児をする権利を取り上げるな、楽しみを奪うな」と、男性の側から女性に対しての要望が出されていた。つまり、働く男たちも、女たちと同じように、家事や育児を「楽しみたい」というわけである。
当然のことながら、アメリカには主夫が多い(主婦ではなく)。能力のある女性はどんどん社会に出て働き、家にいるのが好きな男性は家にいて、ばりばり働く妻を支えながら、育児や家事に専念すればいい、という考え方。なるほど、これは日本の10年先を行っているのかもしれないと思った。
職場での男女平等は言うまでもないことで、会社内で女性社員が男性社員や上司のためにお茶を淹れたりしようものなら、男性から「それはきみのするべき仕事ではないのでは?」とクレームをつけられることは必至。
女性の管理職、女性の社長なんて、珍しくもなんともないし、女性の肉体労働者、女性の軍人だって、珍しくもなんともない。
要は、社会の制度だけではなくて、人々の意識が10年先を行っているということなのだろう。

あれは、アメリカに移住して、5、6年が過ぎた頃だった。マンハッタンでおこなわれた、不動産関係のビジネスミーティングに、夫といっしょに参加したときのこと。
銀行の会議室に集まったのは、銀行の担当者、不動産関連会社のスタッフたち、それぞれの担当弁護士たち、総勢20名ほど。男女の割合は6対4くらいで、男性がやや多かった。夫の経営している会社が不動産物件を購入することになり、パートナーの私も契約書にサインをする必要が生じたため、仕方なく顔を出したのだった。
腕がだるくなるほど、膨大な書類の山にサインをさせられ、昼過ぎから始まったミーティングも、いよいよ大詰めを迎えようとしていた午後4時過ぎ。ひとりの女性弁護士が立ち上がって、言った。
「申し訳ないんだけど、きょうはこのあたりでお開きにしていただけないかしら? この続きはまた明日、ということで」
「それは困ります」
と、すかさず夫は言った。確かに「困る」と私も思った。

なぜなら私たちは、ニューヨーク州のカントリーサイドから3時間近くもかけて、マンハッタンまで出向いてきている。また明日、遠路はるばる出直してくるわけにはいかない。ほかにも、私たちと同じようなことを思っている人はいたようで、みんなの表情も曇っている。困ったなぁ・・・と言いたげな表情をして。
すると、彼女はこう言った。特に険しい口調ではなかった。「いいお天気ね」と言う時と同じような、さりげない言い方だった。
「ごめんなさいね、私、4時半までに、うちの子どもたちを保育園まで迎えに行かなくちゃならないのよ」
この発言に対して、会議室にいた人たち(夫も含めて)はどう反応したかというと------
仕事の場に私生活を持ち込むな、とか、これだから女は困る、とか、そんなことを言う人は、アメリカにはいない。みんなの反応をひとことでまとめると、こうなる。
「それは大変だ。保育園へのお迎えの時間に遅れるのは、絶対に良くない。契約よりもあなたのお子さんが大切だ。よし、こうなったら加速度をつけて、一気に仕事を片づけてしまおう!」

こうして、不動産売買契約の締結はいたってスピーディに進み、彼女は早々と退散し、残った人たちも「ああ、良かったね」と口々に言い合っていた。
ワーキングマザーやシングルマザーがごく当たり前に社会で活躍していて、まわりの人たちもごく自然にサポートしている。会社よりも、家庭を優先するのは当然のことだと、誰もがごく自然に考えている。こんなアメリカ社会が、私は好きだ。女性弁護士がわが子を迎えに行かなくてはならないという理由で会議を中断し、契約を先延ばしにしようとする。それに対して、みんなが異口同音に理解を示す。働きやすい社会だと思う。
このようなアメリカ社会の根底を流れる考え方は、仕事よりも、会社よりも、家庭と家族が大事、個人の生活が大事、ということに尽きるだろう。長年、アメリカで暮らしていると、これが自然、当然と思うようになる。だから、日本にもどった時、夜遅くまで会社で残業をしたり、仕事が終わったあとも会社の人たちと飲みに行ったりしている友人を目の当たりにすると「いいのかな、それで」と、老婆心ながら思ってしまう私である。

その時はただ「へえ、そうなのか、すごいなぁ」と、感心していただけに過ぎなかったけれど、実際にアメリカで暮らし始めてからは日々「ああ、あの話は本当だった」と納得させられることしきり。

たとえば、働く女性の家事や育児について。
日本では当時「男性(父親)も協力するべきではないか、分担するべきではないか」と、女性の側からの要望として問題提起がなされていたが、アメリカではまるで違った。アメリカでは「男から、家事や育児をする権利を取り上げるな、楽しみを奪うな」と、男性の側から女性に対しての要望が出されていた。つまり、働く男たちも、女たちと同じように、家事や育児を「楽しみたい」というわけである。
当然のことながら、アメリカには主夫が多い(主婦ではなく)。能力のある女性はどんどん社会に出て働き、家にいるのが好きな男性は家にいて、ばりばり働く妻を支えながら、育児や家事に専念すればいい、という考え方。なるほど、これは日本の10年先を行っているのかもしれないと思った。
職場での男女平等は言うまでもないことで、会社内で女性社員が男性社員や上司のためにお茶を淹れたりしようものなら、男性から「それはきみのするべき仕事ではないのでは?」とクレームをつけられることは必至。
女性の管理職、女性の社長なんて、珍しくもなんともないし、女性の肉体労働者、女性の軍人だって、珍しくもなんともない。
要は、社会の制度だけではなくて、人々の意識が10年先を行っているということなのだろう。

あれは、アメリカに移住して、5、6年が過ぎた頃だった。マンハッタンでおこなわれた、不動産関係のビジネスミーティングに、夫といっしょに参加したときのこと。
銀行の会議室に集まったのは、銀行の担当者、不動産関連会社のスタッフたち、それぞれの担当弁護士たち、総勢20名ほど。男女の割合は6対4くらいで、男性がやや多かった。夫の経営している会社が不動産物件を購入することになり、パートナーの私も契約書にサインをする必要が生じたため、仕方なく顔を出したのだった。
腕がだるくなるほど、膨大な書類の山にサインをさせられ、昼過ぎから始まったミーティングも、いよいよ大詰めを迎えようとしていた午後4時過ぎ。ひとりの女性弁護士が立ち上がって、言った。
「申し訳ないんだけど、きょうはこのあたりでお開きにしていただけないかしら? この続きはまた明日、ということで」
「それは困ります」
と、すかさず夫は言った。確かに「困る」と私も思った。

なぜなら私たちは、ニューヨーク州のカントリーサイドから3時間近くもかけて、マンハッタンまで出向いてきている。また明日、遠路はるばる出直してくるわけにはいかない。ほかにも、私たちと同じようなことを思っている人はいたようで、みんなの表情も曇っている。困ったなぁ・・・と言いたげな表情をして。
すると、彼女はこう言った。特に険しい口調ではなかった。「いいお天気ね」と言う時と同じような、さりげない言い方だった。
「ごめんなさいね、私、4時半までに、うちの子どもたちを保育園まで迎えに行かなくちゃならないのよ」
この発言に対して、会議室にいた人たち(夫も含めて)はどう反応したかというと------
仕事の場に私生活を持ち込むな、とか、これだから女は困る、とか、そんなことを言う人は、アメリカにはいない。みんなの反応をひとことでまとめると、こうなる。
「それは大変だ。保育園へのお迎えの時間に遅れるのは、絶対に良くない。契約よりもあなたのお子さんが大切だ。よし、こうなったら加速度をつけて、一気に仕事を片づけてしまおう!」

こうして、不動産売買契約の締結はいたってスピーディに進み、彼女は早々と退散し、残った人たちも「ああ、良かったね」と口々に言い合っていた。
ワーキングマザーやシングルマザーがごく当たり前に社会で活躍していて、まわりの人たちもごく自然にサポートしている。会社よりも、家庭を優先するのは当然のことだと、誰もがごく自然に考えている。こんなアメリカ社会が、私は好きだ。女性弁護士がわが子を迎えに行かなくてはならないという理由で会議を中断し、契約を先延ばしにしようとする。それに対して、みんなが異口同音に理解を示す。働きやすい社会だと思う。
このようなアメリカ社会の根底を流れる考え方は、仕事よりも、会社よりも、家庭と家族が大事、個人の生活が大事、ということに尽きるだろう。長年、アメリカで暮らしていると、これが自然、当然と思うようになる。だから、日本にもどった時、夜遅くまで会社で残業をしたり、仕事が終わったあとも会社の人たちと飲みに行ったりしている友人を目の当たりにすると「いいのかな、それで」と、老婆心ながら思ってしまう私である。

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小手鞠るい(こでまり るい)
1956年生まれ。小説家。1981年、やなせたかしが編集長をつとめる雑誌「詩とメルヘン」の年間賞を受賞し、詩人としてデビュー。1993年、『おとぎ話』で第12回海燕新人文学賞受賞。1995年、受賞作を含む作品集『玉手箱』を出版。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で第12回島清恋愛文学賞を受賞。2009年、原作を手がけた絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』でボローニャ国際児童図書賞。主な著書に『空と海のであう場所』『望月青果店』『九死一生』『美しい心臓』『アップルソング』『テルアビブの犬』『優しいライオン---やなせたかし先生からの贈り物』『私の何をあなたは憶えているの』など多数。
仕事部屋からのつぶやきは→https://twitter.com/kodemarirui