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第41回 「もしも」のない人生にも奇跡は起こる

2016.04. 2

もしも, アップルソング, 写真家, 出会い, 小手鞠るい, 青野義一


もしもあのとき、こうしていたら。
もしもあのとき、あの人に出会っていなかったら。
もしもあのとき、あの曲がり角を曲がっていなければ。
そのあとには、今とは違った人生があったのだろうか?
 
誰でも一度や二度は、ふとそんなことを思ってみるのではないだろうか。私はしょっちゅう思っている。私にとっては、楽しい心の遊び、空想ごっこのようなもの。「もしも」のあとにつづく私の別の人生を想像し、その人生を小説の主人公に歩ませてみたりすることもある。
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私は20代の頃、京都の書店でアルバイトをしていたとき、お客として書店を訪れたアメリカ人(それが夫です)と出会った。もしもあのとき、彼と出会っていなかったら、私は今、アメリカでは暮らしていないだろう。ウッドストックの森の家の生活もなかっただろうし、このエッセイだって、書いていないだろう。しかも、書店のアルバイトは午後12時から4時までのわずか4時間だった。その4時間のあいだに、彼が私の担当していた売り場を訪ねてくる確率は、かなり低かったのではないかと思う。たとえば、彼が午後4時5分に書店を訪ねていたら、私たちは会えていない。あるいは、私がその日、その時刻に、たまたま別の売り場にいたら、やはり彼には会えていない。そんなにも低い確率で出会った人と、私はかれこれ30年以上も、いっしょに暮らしている。
 
考えてみれば、人と人の出会いとはすべて、そのような偶然の産物なのではないだろうか。無数の偶然と偶然、無数のたまたまとたまたまが重なり合って、たったひとつの必然を創り上げる。広大な砂漠で風がふっと動いて、ひと粒の砂とひと粒の砂がこすれあうような、そんな必然。まさに「縁」としか言いようのないものがこの世にはあるのだなと、この頃の私はよくそう思う(年を取った証拠かもしれません)。
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2年前に刊行された『アップルソング』(ポプラ社)が、4月にポプラ文庫として生まれ変わることになって、さまざまな作業を進めている中、こんな「出会い」があった。
 
ある朝、本作の担当編集者から、カバーデザインの画像が届いた。誰が撮影したのかはそのときにはわからなかったが、1970年11月のある日のニューヨークの光景を、魚眼レンズで写し取った1枚の写真が使われていた。
 
これほどまでに『アップルソング』のテーマと内容を表している写真があるだろうか。胸がふるえた。もしかしたら、主人公の鳥飼茉莉江が撮影したのではないか、と、思いたくなるほどの感動。目頭が熱くなった。ひと目でこの写真とデザインに惚れ込んでしまった私が大絶賛のメールを送ると、ほどなく編集者から返事のメールが届いた。そこには、この写真を撮影した写真家の経歴を示す、英文の記事が添付されていた。
 
記事の見出しは「Yoshikazu Aono  Obituary」----オビチュアリーとは死亡記事。つまり、この写真家と私は、彼のたった1枚の写真と死亡記事を通して、出会ったのである。
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グーグルで検索してみると、日本語の表記は「青野義一(あおの・よしかず)」氏であるとわかった。2009年3月には「揺れ動く60、70年代のアメリカと同時代に生きた日本人」と題する写真展が、ニューヨークで開かれている。『アップルソング』の主人公の鳥飼茉莉江も、この写真展を見に行ったはずだと私は思った。彼女もまた、ベトナム戦争反対や公民権運動に揺れる60〜70年代のアメリカで活躍した写真家である(茉莉江は実在の人物ではないのですが、私の内面では実在しています)。もしかしたら、茉莉江は個展会場で、青野さんに会って、言葉を交わしていたかもしれない。
 
英文記事によると、青野氏は1938年に横浜で生まれ育ち、生涯を通して、ふたつのものに情熱を抱いていたという。ひとつは蒸気機関車、もうひとつは写真。1964年に東京で開催されたオリンピックを取材していた、「ライフマガジン」東京支局の写真家のアシスタントを務めたことをきっかけにして、青野氏はアメリカへの移住を決意し、以後、フォトジャーナリストの道を歩むこととなる。
 
渡米後は、ニューヨークで写真家のコミュニティを設立、「ライフマガジン」では25枚の写真を発表している。その中には、アポロ11号の月面着陸を祝うパレード、1969年におこなわれたウッドストック・ミュージック・フェスティバル、そして、銃弾に倒れたロバート・ケネディの葬儀の様子をとらえた写真なども含まれている。家族といっしょに住んでいたのはニュージャージー州のリバーエッジという町で、カルチャーセンターの創立メンバーになるなどして、地元の文化や歴史記念物の保存にも貢献している。
 
亡くなったのは2012年7月5日。74歳だった。死亡記事の最後は「葬儀は、7月16日午前10時から」と結ばれている。
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リバーエッジまでは、うちから車で2、3時間くらいあれば行けると思われる。ということは2012年、つまり4年前までずっと、青野さんと私は、会おうと思えば会える場所で暮らしていたことになる。
 
もしも、もう少し早く、青野さんの存在を知ることができていたら。
 
私はきっと、車を飛ばしてリバーエッジを訪ねていただろう。『アップルソング』を書き始めたのは、2011年12月23日である。まだ、間に合ったはずだ。「今、こんな作品を書いているんです、書き始めたところなんです、ぜひお話を聞かせてください」------そう言って、私は青野さんに取材を申し込んでいただろう。
 
しかし、人生に「もしも」は存在しない。
 
残念ながら、私は生きている青野さんにはお目にかかることができなかった。いや、そうではない。残念ではない。私は青野さんに出会えた。彼の写真に出会えた。そして、文庫『アップルソング』の表紙に、青野さんの撮った写真を使わせていただくことができた。
 
これを奇跡と呼ばずして、なんと呼べばいいのか、わからない。このような「出会い」も、この世にはある。「もしも」のあとにつづく人生ではなく、今、ここにある、この手のひらのなかにあるこの人生に、私はきょうも感謝の気持ちでいっぱいである。
 
(カバー写真以外の写真 グレン・サリバン)
 
小手鞠るい(こでまり るい)

小手鞠るい(こでまり るい)

1956年生まれ。小説家。1981年、やなせたかしが編集長をつとめる雑誌「詩とメルヘン」の年間賞を受賞し、詩人としてデビュー。1993年、『おとぎ話』で第12回海燕新人文学賞受賞。1995年、受賞作を含む作品集『玉手箱』を出版。2005年、『欲しいのは、あなただけ』で第12回島清恋愛文学賞を受賞。2009年、原作を手がけた絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』でボローニャ国際児童図書賞。主な著書に『空と海のであう場所』『望月青果店』『九死一生』『美しい心臓』『アップルソング』『テルアビブの犬』『優しいライオン---やなせたかし先生からの贈り物』『私の何をあなたは憶えているの』など多数。
仕事部屋からのつぶやきは→https://twitter.com/kodemarirui

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