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【連載】周りを大切にし過ぎて自分をすり減らす「聖母マリア系」の女性たち|○○系からの成仏(1)
2016.05.22
4コマ漫画エッセイストのヒビノケイコさんが、世の女性たちがはまっている「○○系」というカテゴリの傾向と対策を考える、連載「○○系からの成仏」。カテゴリとしてくくられて、定番化されるとイラッとするけれど、もしかしたら「私は○○系」と知ることは、一皮むけるための大事な一歩かもしれません。第一回目の今日は、「聖母マリア系」について。やさしく母性がたっぷり、責任感のある救世主性格で、一見なにも問題がないように見える「聖母マリア系」ですが……?
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「あの時“最終的に、あなたは自分の人生が大事でしょ?”って、真剣に言ってくれて、ありがとう」。
さやちゃんが言った。わたしたちは、赤いハイビスカスが咲いた住宅街を抜けて、たどり着いた砂浜に腰を下ろしていた。沖縄の青い空と太陽が、水面を照らしている。
「それまでたくさんの人に、なんでわざわざ、ダメ男やしんどい人ばかりと付き合うんだ?なんでもっと自分を大切にしないんだ?って言われてたんだけど、意味がわからなかったんだ。わたし、自分を聖母マリアキャラと間違って、人を救ってるつもりだった。でも、気付いたら自分自身さえ救えずに疲れ切ってたんだよね」。
さやちゃんとは、もう10年以上の付き合いになる。昔からデキる子で、エンジニアの仕事をし、人への心配りも細やか、とにかく優しい。なのに……なぜかいつも「どうしてそんな大変な人と付き合うの?」と思うような人と付き合ってしまうのだ。友達も、恋人も。
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周囲の心を癒す救世主。「聖母マリア系」の女性たち
さやちゃんみたいな人を、ここでは「聖母マリア系」と呼びたい。その特徴をあげてみよう。

聖母マリア系の人は、基本的に人柄が良い。ほんわかしていて一緒にいると癒される。心から、世のため人のために良いことがしたいと思っている。
ただし物事には、いい面と悪い面、強みと弱点がある。そのバランスがどこか崩れていると「いいことをしているのに、自分は苦しい」という事態になってしまう。
今日は、人を幸せにできる聖母マリア系の人が、自分自身も幸せにしてあげられるようになるために、弱点を解明しつつ対策を考えたい。「あ、わたし聖母マリア系だ!」って困っている人は、読んでみてね。
聖母マリア系のワナ①:「わたしがワガママなのかな」はトリックワード
聖母マリア系の人たちには、すてきな友達がたくさんいる。だけど、その人たちに紛れてバンパイア系の人も寄ってくる。バンパイアタイプっていうのはどんなタイプかというと……

バンパイアたちに振り回され、聖母マリア系の人たちは、身も心もボロボロになる。人の良さにつけこまれているように見えるのに、一緒にいようとする。「わたしは、幸せだよ」と言いながら、青白く憔悴仕切った顔で。わたしは彼女たちに、何度も相談されたことがある。恋愛も、精神的にアップダウンの大きいものになる。なぜならバンパイアには、底がないから。どこまでも求め、聖母マリアの血を吸い尽くそうとする。
客観的にひどいことをされていても、聖母マリア系は常に「わたしが、わがままなのかな?」と自分を責める。わたしの心が狭いから、この人を受け入れてあげられないのだろうか?と。
「相手を変えようとせず、自分を変えるべき」が板につき過ぎている。そして、本当は譲ってはいけないところまで人に譲ってしまう。入られてはいけない境界を譲って、自分の安心できる場所までなくす。
バンパイア系はこういう人を直感的に見分け、土足で踏み込み、甘えてエネルギーを吸い取り、自分だけを元気にする。
自分も相手も自律するためには?
でも、本質的には聖母マリア系も、バンパイア系も、いい面を持っている。未熟な時期にはダメな要素が出やすいだけで、成熟すれば、聖母マリアはその母性を生かして人を依存させるのではなく、自律をサポートできる人に。バンパイア系だって、自分で自分を元気にできるスマートな紳士になれるのだ。
じゃあ、自分も相手も自律的に歩けるようにするためには? 聖母マリア系は、こういう対応を身に付ける必要がある。
- 相手と自分の境界のラインを引いてあげること
- ダメなものはダメ、と言ってあげること
- 感情だけではなく客観的な目線を失わないで判断すること
以前、さやちゃんはこんなことを言っていた。
「わたし、小さいころから、なぜか“困った人を救わねば”って思ってたの。世の中で苦しんでいる人たち、弱い人たちにこそ、出来ることをしなければ……。だから、困った人たちを受け止めないのは悪だと思っていた」。
「それは、大事なことだよね。でも、あなたが人を過度に手助けすることで、相手が本来持ってる力を発揮できない場合もあるんだよ。だから、“それはほんとの優しさなの?”って自分を振り返ることも必要だよ」 わたしが言うと、さやちゃんはハッとした。
「相手の弱さを受け止めるつもりが、気付いたら相手を依存させていたり、自立できないようにさせていた。いつも人にばかりエネルギーを注いで、自分自身に対しては、おろそかになってた……」。
そう。まずは相手じゃなく自分を救ってあげること。そうすると、今までは分からなかった、自分の素直な声が聴こえてくるよ。

聖母マリア系のワナ②:誰かのためばかりでなく、自分のためにエネルギーを使おう
さやちゃんは、いつも誰かのことでアタフタしていた。相手のことを心から考えている一方で、わたしにはどこか彼女が「大変な恋愛や人間関係のことで、常に頭をいっぱいにしていたい」ようにも見えた。
聖母マリア系は共感力が高い。それはすごくいいところなんだけど、自分より人のペースを優先して考えてしまいがち。例えば、明日の朝イチから大事な仕事が控えていたとしても、泣いてる友人の話に夜な夜な、がんばって付き合ってしまう。それはまるで、自分が主演のドラマの主役をいつの間にか別人に譲って、自分はずーっと脇役……という、へんてこな状態。
なぜそうするのかって? それは、本当に自分の人生にとって大事なことと向き合うのが怖いから。聖母マリア系の人たちは、「人生を自分で選びたい」と言いながら、心のどこかで選ぶのを恐れているのだと思う。
一緒にいたい人、ほんとうはしたい仕事、なりたい自分。それらに近付きたいのに、近付くのを避けようとする。
だって、怖いから。変わるのが、怖い。未知の段階に踏み出すのが怖い。
そんな時、苦しくても、逃げたくても、歯をくいしばって選択できるかどうかが人生の勝負。そのためのエネルギーを、誰かではなく自分に与えてあげることがカギになる。それが、結果的に誰かを助けることにもつながる。
聖母マリア系は、優しすぎるからこそ「自分を最優先してあげる」くらいの方が、自分の人生を生きられる。
弱さでつながる甘い蜜
共感力の高い聖母マリア系は、弱い立場の人や困っている人に対して、見返りなく優しくできる。それは本当に素晴らしいところ。
ただ、注意したいのは、弱さという糸でつながると、蜜の味が滲み出すような危うさもついてくる。「ダメな人だねえ」とヨシヨシしていれば、自分が少しいい人に思える。自分が前に進まなくても、停滞した人を見ると安心できる。優越感だ。
相手にしてあげる行為が行き過ぎている時は、自分の何かを満たそうとしているサインなのかもしれない。
「なんか、今わたしのバランスが変だな」と思ったら、立ち止まって考えてみよう。
聖母マリア系のワナ③:善友を選ぶ。選ぶことは決してわがままではない
わたしたちは小さな頃から「みんなと仲良くしなさい」「困ってる人は助けなさい」と言われて育ってきた。だから、“人を選ぶ”という言葉は、一見冷たく思われがち。だけど、付き合う人を選ぶのはものすごく大事なこと。
例えば、暴言を吐かれるような相手と一緒にいると、暴言に染まっていく。「あんたはダメ」と言われ続けるような家族の中にいると、いつしか自分をダメなやつと定義付けてしまう。「失敗が怖い、したくない」という仲間しかいなければ、失敗=恐れる対象として捉えるようになる。自分のいるコミュニティを変えただけで前向きになり、失敗を怖がらずに進めるようになった、という人はよくいる。
だから、別に罪悪感を持つことなんてなく、選べばいいの。「わたしが、わがままなのかな?」という問いを、よく聖母マリア系はよく持つけれど、選択することは、何もわがままなことではない。抱えなくていい荷物は、抱えなくていいのだから。そうすれば、もっと楽になり、必要な場所に集中して力を発揮できるようになる。
「あの人を分かってあげられるのは、私だけ」は本当?
だけどここで、聖母マリア系はこう思うだろう。「でもね……あの人は、私しかわかってあげられる人がいないの」と。
けれど、実際は……そんなことなかったりする。
あなたが席を空ければ、相手が自分で向き合うべき問題に向き合えるきっかけができる。あなたよりその人に本心から向き合いたい人が座れる。だから席を空けてあげることは、大事なこと。これは、恋愛や人間関係以外に、仕事や経営でも言える。それは同時に「自分が本当に付き合いたい相手の前に、勇気を持って座る」ことにもつながる。
人生で関われる人の数は限られている。それなら、消費しあう関係ではなくて、お互いに価値を感じながら伸ばしあっていく関係にエネルギーを注ぐ方が、パフォーマンスがいい。
数は多くなくても、大切に関わる一人の人が、元気に前向きに生きていくことで、その周りにできるコミュニティや家族が元気になる。
罪悪感なく、選択せよ。
生きている時間は短い。
今この瞬間のからだと心と時間、精一杯を、誰と紡ぎたい?
聖母マリア系のワナ④:孤独を味わっても死なない
聖母マリア系は、人に好かれ頼られるため、いつも周りに誰かがいる。友達にしろ、恋人にしろ、途切れない。
だけど、選択し、誰かと付き合わなくなるということは、ひとりの時間が多くなるということ。慣れない孤独の時間は、ひたすら寂しいものだ。自分はどうしたいのか分からなくなり、ぐるぐるする。さやちゃんも、自分のために時間とエネルギーを割くようになった当初、キツそうだった。でも1年くらい経ってから、こんなことを言っていた。
「孤独を痛いほど味わっても、人間って意外と死なないんだね。寂しくて死にそうな夜でも、眠ればちゃんと次の朝がくるんだって、だんだん分かってきたんだよ」。
誰も知らない時間を、一晩一晩、ひとりで乗り越えてきたんだね。
それは、丹田にグッと力を入れて土俵際で踏ん張るような重みを持つ日々。けれど、そのおかげで徐々に彼女の持っていた力は発揮され始め、仕事も心も、以前より健全になった。そして、「相手はどうしてほしいのかな?」ばかり考えてきた思考回路が、少しずつ「自分はこうしたい」を探すように変化した。
すると、孤独と弱さも知ったうえで、自分の足で立ち、前向きに歩こうとする人が寄ってくるようになった。自分と相手がそれぞれエネルギーを出し合って登っていける関係性も出てきた。そういう関係においては、心もからだも疲れない。むしろ元気が出るみたい。
つまり誰かを助けるためには、孤独を知り、自分自身を確立することが必要なのだ。
ほかの誰でもなく、自分のために
ざらっとした砂のつぶが、ビーチサンダルの隙間から入ってくる。ひんやりとした海に、とぷっと入る。
人生を選ぶことは、ラクじゃない。この湿った、からみつく砂のような不快感がある。だけど、それでも、逃げずに選択する。
「こんな風に、辛かったこともやがては溶けていくんだよね」と、きらきらした笑顔で、さやちゃんが言う。ちょっと日焼けした顔がたくましい。
やっと、自分のために、聖母マリアキャラを使えるようになったね。
たくさん泣くこともあるけど、たくさん笑おう。
気持ちいい海に、時々こうして入りに来よう。
そしてまた、じりじりの太陽に焼けた道を、汗ばみながら、草をかき分け、歩いていこうね。
優しさに、強さを伴わせられる日まで。
おさらい:真の聖母マリア系になるために

- バンパイアタイプにはラインを引こう
- 「わたしがわがままなのかな?」にだまされないで
- 誰かのことで頭をいっぱいにせず、自分のためにエネルギーを使おう
- 自分の行為が、相手と自分を自立させる優しさになっているか振り返ろう
- 付き合う人は選ぼう
- 「わたし以外にも理解してあげれる人はいる」と席を譲ろう
- 孤独を味わっても死なないことを、感じてみよう
- 自分のために聖母マリアキャラを使える人になろう
格言「優しさには厳しさも必要。相手と自分が自立できるようにサポートしてあげること。そのためには、自分にたっぷり愛情をあげよう。自分が満たされてはじめて相手にも何かできる。その時、聖母マリア系は真の聖母系となる。」
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ヒビノケイコ
4コマ漫画エッセイスト。9年前京都から高知の山奥、嶺北エリアに移住。自然派菓子工房ぽっちり堂オーナーをしつつ、作家・講演活動をしています。新しい時代に必要な視点と、多様なライフスタイルを地域から発信中。移住、ローカル、女性の軸、仏教、子育て、アートがテーマ。 ブログ「ヒビノケイコの日々」http://hibinokeiko.blog.jp
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