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【連載】母として「私」という一人の女性として生きていくことを考える短期連載「母さんと呼ばないで」をはじめます(1)

2016.12.31

女性, , , 母さんと呼ばないで, 親子

女性は、子どもを産むと「母」「妻」「個人」など、様々な顔を必要とされ、「母になること」への戸惑いや使命感を抱く人も、少なくないように感じます。

 

一人の女性として「母になること」と、個人である「私」として生きていくことを考える、新しい連載「大人すはだ」で始めます。


***


初めまして。藤岡聡子といいます。今回、「大人すはだ」で連載を担当することになりました。


連載タイトルは【母さんと呼ばないで】。ちょっと刺激的でしょうか?まずは最初に、わたしの自己紹介から始めたいと思います。

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わたしは、3人兄妹の末っ子として1985年に徳島県で生まれ、三重県で育ちました。今は4歳の息子と1歳の娘を、東京のとある下町で育てています。子育てと平行して、介護、福祉、まちづくりの事業を行う 株式会社ReDo 代表取締役を務め、親が政治や人権について学び直す KURASOU.という活動の代表もしています。


今日は少し、「母とはどんな存在なのか」を考えるきっかけになった、わたし自身の話をさせてください。
 

父の死で、埋まらない心の隙間ができてしまった思春期


”母”というものを強く意識するようになったのは、わたしの父の死が大きな転機になっています。


父は内科の医師をしていました。「治す気がないなら来るな!」なんて患者をどなりつけるほどの熱血漢だったと聞いています。家では両腕に子をぶらさげてグルグルと回して遊んでくれる、とても力強い大木のような人でした。


ですが、わたしが12歳の時、父はわたしたち家族を置いて、先に逝ってしまいました。
 

あんなに元気で、病気を治す側の人だったのに、なぜ死んでしまったのだろう?


父親をなくした家は、どんよりとした雰囲気に包まれ、当時のわたしは息がつまりそうでした。母は意気消沈し、その元気をなくした姿に、わたしはますますイライラしました。


中学生になると、どうにか家に帰らないで済む方法はないだろうかと家出を繰り返すようになり、髪の毛が溶けるまで染めてみたり、顔中にピアスをあけてみたり、歩道橋で野宿をしたり……。


そうやって足りない何かを埋めようとすればするほど、どんどんむなしくなっていきました。内申点の点数がつかなくなり、このままでは高校にも行けなくなると知ったときに、ケリをつけたいと一発奮起。夜間定時制高校に入学することになったのです。
 

定時制高校で過ごした4年間。母や自分とやっと向き合えるようになった


進学した定時制高校で出会ったのは、離婚した子持ちの中年男性、祖父と同い年のお年寄り、今まで一度も学校に行ったことがない不登校だった生徒たちでした。昼間の仕事で疲れて眠たくても、懸命に机に向かう彼ら・彼女らの姿をみて、今まで目の前のやるべきことから逃げて過ごしてきた自分が恥ずかしくなりました。
 

そんな高校生活を4年間過ごす中で、少しずつ「社会にでたら、わたしは何をしたいのだろうか」と考えるようになります。


ある日、仕事先で慕っていた女性から「ピーすけ(当時鼻ピアスをつけていたわたしのあだ名)、お前その弁当、母ちゃんにありがとうって言ってるのか?」と尋ねられました。


その時、わたしはハッとしました。毎日6時半に家を出る私に用意してくれているお弁当のありがたみに、突然気付いたのです。その日から、同じ家にいても会話をすることがなかった母と「……今日もお弁当、ありがとう」と、少しずつですが言葉を交わし始めることができるようになりました。母のほっとした顔が、今でも忘れられません。


母と通じあうことで、ようやく居場所を取り戻したわたしは、大学進学を決め、英語や色彩心理など興味を持ったことを学んでいきます。これからやりたいことについて、母ともたくさん話をするようになりました。そのうち、12歳の時に持った「命を全うする、老いていくこととは何か」という問いについて、自分はどんなことが出来るのか考えるようになりました。
 


夢と妊娠が同時に


そんなふうに模索しながら進んでいたわたしに、友人が「老人ホームを立ち上げようと思うから、一緒にやってみないか?」と声をかけてくれたのが24歳のとき。介護ベンチャー・老人ホームの立ち上げをすることとなったのです。サービスの立ち上げから2年半ほど経ち、老人ホームの経営が軌道に乗り始め、いよいよ次の段階へいこうと新規事業の準備をしていこうとしたときでした。

わたしの妊娠がわかったのです。


子を授かり、初めて味わう喜びと同時に、やり残した仕事への複雑な感情。しかしそんな気持ちを吹っ飛ばすかのように、わたしの母に末期のがんがみつかりました。


わたしは「仕事で成果を出したい」という溢れる気持ち、一旦横に置き、自分の未来よりも目の前の家族を最優先する選択をしました。


***

海


母を看取ってから、今年で丸3年が経とうとしています。ようやく最近になって、母との思い出を思い返せるようになりました。


母になったとたん、母を失った娘。

仕事を愛し何かを成し遂げたいと強く思う女性。

子と家庭を育んでいこうとする母。


そんなごちゃごちゃしたわたしという人間が、母となり子を見つめながら、母である前に“私”として生きていくために、何を考えているのか? そんなお話を、紹介していきたいと思います。


★★★
★自然由来のものと育む、すこやかな暮らしのヒント
★木の香りで癒され、美のエネルギーを蓄えよう
★わたしらしい「暮らし」ってなんだろう
  • 暮らしの記憶                                 
藤岡聡子

藤岡聡子

1985年生まれ、徳島県生まれ三重県育ち。夜間定時制高校出身。自身の経験から、「人の育ち」「学び直し」「生きて老いる本質」をキーワードに、人材教育会社を経て24才で介護ベンチャー創業メンバーとして住宅型有料老人ホームを立ち上げる。2014年より非営利団体「親の思考が出会う場」KURASOU.代表として、国内外のべ150名以上の親が政治や人権について学び対話する場を運営。2015年デンマークに留学し、幼児教育・高齢者住宅の視察、民主主義形成について国会議員らと意見交換を重ね帰国。同年11月 福祉の再構築をミッションに、株式会社ReDoを起業。2児の母。http://redo.co.jp/

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